2008年06月09日

あの頃

 一軍戦が終わった。今季は入替戦で負けた。ものすごい大混戦だったが、2度の3-4が響いた。どちらかでも4-3になっていたら、1位昇級だったのだ。
 OBである私が敢えてこういう書き方をしたのは、今回の大混戦が、まるで自分達の学生時代のように思われたからである。あの頃も毎回混戦で、たいてい勝数勝負になっていた。
 当時を懐かしく思った私は、ある文章を思い出した。平成12年度の秋季一軍戦(悲願の昇級を果たす半年前)、私が率いていた神戸大は勝点4勝数21の成績を残したが、龍谷大(勝点4勝数22)、甲南大(勝点4勝数22)とのデッドヒートの結果、B級3位で入替戦にも進出できなかった。その直後に書いた文章の終盤は、以下のものである。

「お疲れさまでした。」
 佐野理事長が、オーダー表を提出した私に言った。お疲れさまか、そうだよな。おめでとうじゃない。俺達は負けたんだ。何人かの選手にも声をかけられた(私から愚痴をこぼしたこともあったが)。その度に同じことを思った。俺達は負けたんだ、昇級できなかったんだ。勝数1差の3位だから、誰かがもう1つ勝っていれば入替戦だった。それが龍谷大戦だったとしたら、勝点5の1位で昇級だった。「もし〜だったら」などと言っても仕方がないが、そのことは何度となく私の頭をよぎった。結果は結果として認めるしかない。しかし、認めるにしてはあまりにも差が小さかった。あと1歩、ほんのわずかだったから、余計に悔しかった。
 暇になった。1位だったら第2代表戦、2位だったら入替戦を指すことができたのに。この時間帯には秋季個人戦の抽選会も行われた。現役部員随一の強運を持つ田中君に幹事代理として抽選会に参加するよう指示していたのだが、対局がなければ部長も幹事も参加できる。控室で暇な時間を過ごすのも嫌なので抽選会に出ることにしたが、自分が抽選会会場にいることが悔しくてたまらなかった。私の入った19ブロックに実績のある選手が誰も来なかったのは嬉しかったが、一軍戦で昇級を逃した悔しさに比べれば些細なことだった。
 第2代表戦と入替戦の結果を見届け、私は会場を後にした。今度は神将のメンバーと一緒だった。南草津から六甲道までの道のりが非常に長く感じられた。会話をするのもつらかったが、黙っているのはもっと苦痛だった。主に河津さん、藤原さんと世間話をして過ごした。一軍戦や個人戦の話はほとんどしなかった。
 皆と分かれ1人帰宅する。自分が将棋部部長として頑張っていることが、とてもつまらないことのように思えた。昇級できなければこれまでの努力も意味がない。全てが徒労に終わってしまうような気がした。5年後、10年後の神将のあるべき姿について、私はそれなりのビジョンを持っている。しかし、それは自分たちの代で関西のA級に定着することが前提となっており、この前提が崩れればビジョンも崩壊する。私に残された一軍戦はあと2回しかなく、あと2回昇級を逃したとき、全ては徒労となる。それが怖かった。私にとっては非常に大きな恐怖だった。
 自分の運命について、真剣に考えた。自分の努力は報われないことになっているのか、そういう定めなのかと思った。神大は2年間ずっと昇級候補だった。だが、いつも勝負どころで誰かが負けた。いわゆる魔が差したような一手を指して敗れることも何度かあった。それは棋力もしくは精神力の不足によるところであろうが、もしかすると人知を超えた存在に操作されているのかもしれない。そうだとすれば、何をやっても無駄ではないか…。
 しかし、たとえ無駄だとしても、この戦いをやめるわけにはいかない。戦うしかないのだから、この程度でへこたれていられない。敗戦を運のせいとして片付けることは容易である。けれども、今のB級一軍戦、どの大学が昇級してもおかしくない状況下で勝ち残るためには、多少の運など力でねじ伏せるくらいの気概を持って取り組まなければならないのではないだろうか。
 神将は、まだまだ強くなれると思う。もっともっと強くなって、次こそは昇級を果たしたい。これまでの戦いを無駄にしないためにも。


 1人のOBのワガママではあるが、この文章を後輩達に贈りたい。
 次なる戦いに向けて、がんばれ神大将棋部。
posted by せた at 01:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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