2008年07月22日

山陰小旅行顛末(前編)

 米子の駅前に放り出されたのは、7月20日の朝の6時半。眠い。夜行バスでの睡眠時間は実質3時間ばかり。夜型生活が染み付いている私にとって、早寝早起き型のバス(東京の浜松町を出たのは21時前だ)はきつい。結局、午前3時頃まで物思いに耽ってしまった。
 この日行動をともにするstaysilver氏が車で迎えに来るのは7時半頃。それまで時間を潰さねばならぬのだが、あいにく喫茶店やファーストフード店の類はない。駅の待合室で、コーヒーを飲みつつ時間を潰した。
 予定より少し早く、迎えに来たstaysilver氏と合流し、ファミレスで朝食をとる。時間に余裕があったので、食後もだらだらと雑談していた。
 9時頃にファミレスを出て、新日本海新聞西部支社へ。ここで行われる将棋の賞金大会(米子将棋まつり)に出場するのである。
 米子に行く目的は、もともとは旅行のついでにstaysilver氏を訪ねるためであった。しかし、ちょうど当日に大会があることを彼から聞き、では2人で出るかという話になったのである。社団戦の前だし、最近はちょっと将棋を頑張ろうという気になっているので、ちょうど好都合だった。

 受付、抽選を終えて、会場で待機する。賞金が高い(優勝10万円、準優勝2万円、敗者戦優勝2万円)地元山陰勢だけでなく、関西などからの遠征組も少なくない。関西の強豪とは当たりたくないなぁと思っていたが、そのうちの1人であるY田氏を、初戦から見事に引いてしまった。
 ツキのなさを嘆きつつ対局開始。三間飛車対居飛車穴熊で、Y田氏が石田流に構えて先攻するというのは予想通りだったが、こちらの駒組みに問題があり苦しくなる。一応頑張ってはみたものの、慎重に指されて打つ手なし。完敗だった。
 しかし、まだ2万円ゲットの可能性はある。そして、わざわざ米子まで来て連敗終了というのは切な過ぎる。とにかく気を取り直して敗者戦を頑張るしかない。
 その敗者戦、1回戦の相手は地元のベテランI田氏だった。今度は四間飛車対居飛車穴熊になり、相手の無理仕掛けを咎めて優勢に。しかし、その後の指し方に問題があったのか、端攻めをまともに食らって逆転。相手が詰みを逃したためなんとか勝ったが、寒い将棋であった。
 次の相手は地元の高校生M池氏。後で聞いたら、高校選手権の団体戦県代表とのこと。雁木模様にされたので、こちらは右玉に変化。相手が若いので経験値で勝負しようという狙いである。作戦は的中し、早々と優勢になる。
 ところが、ここから勝利までの道のりが長かった。右玉は勝つのに時間がかかる戦法で、相手は時間攻めも視野に入れて(この大会は30分切れ負け)粘りまくる。時間の切迫とともにリードを吐き出し、図の局面を迎える。
08Jul20.gif
 ここではまだ残っていると思っていたが、持ち時間は残り1分ほど。読み切る時間がなく本能的に△7五歩と打ったが、実戦的にはこれが敗着だった。▲6六玉とかわされ、以下5五〜4四〜3四と逃がしてしまい、最後は6秒差で時間切れ負け。図で△6七角なら3四への逃げ道がなく即詰みであることに気付いたのは、短い感想戦を終えた数分後のことであった。
 切れ負けの叩き合いは若いほど有利であり、実戦を多くこなしている方が有利である。私にとって不利な条件ではあった。だが、負けは負けである。棋力はそれほど衰えてなくても、年齢からくる瞬発力、反射神経の衰えは否めないようだ。悔しさと同時に淋しさを覚えた1局であった。
 staysilver氏は危ない将棋の連続ながら勝ち続け、決勝で敗れたものの、堂々の準優勝で賞金を手にした。彼は「せたさんが来ないんなら出てなかった」と言っていたから、私も少しは役に立ったのではないだろうか。

 17時頃に会場を出て、staysilver氏の行きつけの店で3時間ほど遊戯に興じる。両者とも将棋とは逆の結果となった。その後ファミレスで夕食をとり、最後にホテルまで送ってもらう。彼がいなければ移動もままならなかったわけであり、感謝の一言である。
 ホテルの部屋に入り、まずシャワーを浴びる。私は相当に疲れていたようで、まだ23時前だったにも関わらず、あっという間に眠ってしまった。
posted by せた at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 将棋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。