2009年07月14日

社団戦記4 −完勝−

 続いて本日の最終戦。相手は学習院櫻将会。3戦連続で大学将棋部のOBチームと当たるわけだ。一口にそう言っても、若いチームもあればベテラン中心のチームもあり、構成はそれぞれ違うのだが。ちなみに、学習院櫻将会は比較的若い人が多かった。
 ようやく大将席から離れ、今度は七将での出場。必ず端に配置されるというのは、真ん中の方だと邪魔だということだろうか。まあ、そういう起用法でも別に不満はないが。
 私の将棋は相手のウソ矢倉で、私は急戦で対抗。24で何局か指したことのある形になり、無理筋だと思っていた変化に相手が飛び込んできた。慎重に時間を使い、攻めをいったん受け止め、そして反撃の時を迎えた。09Jul06-4 54手.gif
 図から▲5二銀△3二玉と進み、そこで▲4五歩が実に気持ちの良い一手。相手はここで長考に沈んだが、もはや適当な受けはない。長考中に観念したのか以下はバタバタと進み、69手という短手数で私の勝ちとなった。
 団体戦でこんなに楽な勝ち方ができることは滅多にない。既にかなり疲れていて、体力勝負には不安があったし、ありがたい展開だった。そして、後で気付いたのだが、1日に3勝したのはなんと1年8ヶ月ぶり。これはなんと言えばいいのか…。

 チームはまたも苦戦を強いられ、2-2の状態が長く続いた。運営の都合により、残った対局は1手20秒となる(社団戦ではいつものことだ)。ウエスタンの残る3人はいずれも優勢だったが、秒読みが60秒の大学将棋にどっぷり漬かった面々なので、そのあたりに不安はあった。しかし、それは杞憂だったようで、3人とも勝ち。こうして、ウエスタンBは初日全勝という素晴らしいスタートを切ることができた。
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2009年07月10日

社団戦記2 −7年ぶりの大逆転負け−

 次は東農大OBとの対戦。私は再び大将としての出場となった。まだ2試合目だし、小細工をする必要は全くない。エースが来ようが当て馬が来ようが、堂々とぶつかればいい。

 私の将棋は相手の四間飛車から相穴熊に。定跡形で見慣れた進行だったが、それでも相手の早指しは異常なくらいだった。自分が指してから1秒もしないうちに指してくる。こちらも時間で大差をつけられるのは嫌なので、すぐ指せるところはすぐに指したが、仕掛けのあたりで長考に沈んだ。団体戦だし、熱くなって手拍子で指すのは相手の思う壺だ。09Jul06-2 131手.jpg
 落ち着いて攻めたのが良かったのか、局面はいつの間にか堅い、攻めてる、切れないという形に。いわゆる穴熊の必勝パターンである。問題はこちらが30秒将棋で相手は20分以上残していることだが、自玉は絶対詰まないので考えやすい。少しもたついたものの、上図の局面では勝ちを確信していた。
 ここでの私の読み筋は、△4六銀▲同玉△4三飛▲4五歩△同飛▲同玉△5五金▲4四玉△4二銀(下図)で必至。しかし、△4三飛に▲3七玉と引かれ△2八銀▲同玉△4八飛成▲3八金となった時に、持ち駒に銀がないと詰まない。ゆえに△4六金▲同玉△4三飛▲4五歩となったが、ここで私は誤算に気付く。最後に残るのが銀だと、前述の手順の△4二銀が必至になっていないのではないか…。時間に追われ咄嗟に△5五銀と打ったが、相手は間髪を入れず▲3七玉。明らかに変調である。09Jul06-2参考図.gif
 大半の読者諸兄はお気付きかと思うが、持ち駒が金だろうが銀だろうが、前述の△4二銀までで必至である。▲5三飛などと受ければ△3三銀打以下簡単に詰むわけだが、情けないことに私はこの△3三銀打が全く見えておらず、4五に打つ金がないとダメだと思ってしまっていたのだ。
 これまでの履歴をリセットして考えられないのが私の悪いところで、局面はまだ優勢なのだが、動揺から頭はすっかり混乱してしまった。その後も悪手を乱発し、まさかの大逆転負け。
 これほどの逆転負けは7年前の中部オール学生(私と長い付き合いの方はわかる…かな?)以来である。頭が熱いどころの話ではない。一軍戦でこれをやらかして3-4なら、その日はもとより数ヶ月は立ち直れなかっただろう。
 私が投了したときには、まだチームの勝敗は決まっていなかった。私の将棋も167手という長手数だったのだが。残っている対局を見る限り、なんとか凌いでいそうではあったが、相手が投了するまで負けの可能性は常にある。チームが早々と1敗を喫する可能性、私が取り返しのつかない大失態をしたことになる可能性は、まだ残っている。なんとか助かっていてほしい。私はただ願うばかりだった。

 相手方の選手が詰み筋をうっかりして、3-3で残った副将戦はあっけなく終わった。助かった。負けなくて良かった。
 まさに冷や汗モノの勝利。チームを、そして私を救ってくれたチームメイトには、ただただ感謝の一言である。
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2009年07月08日

社団戦記1 −背負いなれたプレッシャーとともに−

 大将の席に着く。盤から離れて座る。茶と目薬と扇子を机に置く。いよいよ、社団戦が始まる。
 社団戦は3回目だが、今回の自分の立場は、これまでとは違う。理屈抜きに自分が勝つこと、それが仕事である。昨年や一昨年と異なり、今年のチームには全国クラスの強豪はいない。ゆえに、自分くらいの実力の者がしっかり勝たなければならないのだ。
 そんな状況だから、プレッシャーはあった。しかし、それは昨年のプレッシャーよりははるかに健康的なものだった。昨年は強いチームの控え選手という立場で、自分が勝ってチームメイトに戦力として認めてもらわなければという思いで戦っていたのだが、それは劣等感からくるプレッシャーであり、弱いチームの主力選手を長年やってきた自分には違和感もあった。それに比べると、今回のプレッシャーは慣れ親しんだものだ。
 目標は12勝以上。勝率で言うと8割以上ということになる。一昨年は3部で6勝2敗だったから、4部で出る今回は、少なくともそれ以上の勝率を残さなければなるまい。あわよくば全勝という思いも、もちろんあった。
 しかし、不安がないわけではなかった。最大の問題は自分の性格である。落ち込むと立ち直れないから、昨年のように連敗地獄にハマってしまう恐れもある。4部だから最終的には指し分けくらいで凌げるだろうが、チームの戦力を考えるとそれで良いはずがない。
 自分の浮沈のカギは初戦だと思っていた。ここで負けると、昨年の悪夢がまたよみがえる。そうしないためには、とにかく勝つしかない。

 さて、その初戦は相掛かりになり、先手の私が先攻した。けっして成算があったわけではないが、駒組み合戦で持ち時間を使い果たす展開は避けたかった。秒読みには自信がないし、私の序盤力では駒組みが長いと不利だ。仕掛けていい勝負だと思ったら気合良く仕掛けようと、前々から決めていた。
09Jul06-1 42手.jpg 図は中盤戦。私が▲4五歩と突いたのに対し、△5三銀と駒を足されたところである。今見ると、7九の銀が私の焦りを物語っているような気がしなくもない。
 ここで少し考えて▲4四歩△同銀▲1五歩と攻める。これに対し、相手は5分以上考えて△2四銀。どう見ても非常手段という手である。ここで局面も心理面も優勢を意識。以下▲同銀△同歩▲1四歩とすると、△1二歩と受けられた。▲1四歩の瞬間が甘いので反撃があるかと思っていたが、相手は辛抱を選んだわけだ。しかし、▲4五歩からさらに攻め立てると、相手はあっさりと土俵を割った。71手で先手勝ち。
 こうして、今年の初戦は快勝となった。しかし、まだしっくり来ないような感触があった。たまたま結果オーライだっただけで、相手のちぐはぐな指し手に助けられたという感が否めなかったからだろうか。とにかく勝たなければならない立場だから、安堵感はもちろんあったが。
 チームは6-1。3部復帰に向けて、まずは好スタートを切ったと言えるだろう。
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2009年06月29日

阪神戦

「神将でも何かしたいよなー」
 そもそもの始まりは、GWのウエスタン旅行の帰路にて発された一言だった。一緒に行動していた小林一三君と私の、どちらからともなくそんな話になった。
 とりあえず東京で対抗戦をしよう。相手は阪大を誘ってみよう。と、ここまではあっさり決まった。阪大は若手OBのチームが社団戦に出ているから人を集めやすいだろうし、主要メンバーとも面識がある。
 善は急げということで、その夜阪大OBの葉狩氏に電話。返事は言うまでもない。そこまで想定して、阪大を誘ったのだ。
 とりあえず参加できそうなメンバーの状況を確認した上で、数週間後に打ち合わせを行う。その席で、人数次第ではチェスクロックが足りなくなる可能性があることが判明したため、チェスクロック1個を購入して勝利チームへの賞品とすることに(費用はもちろん敗者負担)。そのほか、対局システムや準備の分担などを決めた。

 当日、朝9時半に銀座に集まり、皆で某喫茶店へ。この喫茶店に付属する会議室が、対抗戦の会場なのだ。コーヒーを飲みながら、相手チームの到着を待つ。しかし、それらしき団体はいっこうに現れず、開始予定時刻を過ぎた。OBの近況や現役の活躍など話題は腐るほどあるので退屈はしないが、苛立ちがないと言えば嘘になる。葉狩氏に電話してみたら、地名を勘違いして全く違うところ(さすがに銀座界隈だったようだが…)に行っていたとのこと。
 結局、相手チームは15分遅れで登場。何も遅刻のペナルティを考えていなかったことを少し後悔しつつ、我々は会議室へ向かった。

  さて、まずは15分60秒での対局である。小細工なしで勝負するオーダーを組んだら、相手も同じ考えだったようで、5-0から0-5までありそうという、エンターテイメント性の高い当たり方になった。
 私の相手は吉川氏。強敵だが過去の対局では幸いしている。序盤で駆け引きがあったが、相掛かりの相中住まいで落ち着いた。
 相手の仕掛けにより、私の陣の左辺から開戦。端を絡めた攻めに対し、私は空中にいた飛車を殺して対抗したのだが、これが良くなかった。駒得ながら右辺の壁が痛く、一方的に攻め倒されてしまった。飛車を殺す前に壁形をほぐしておく必要があったようだ。
 隣の小林君が純粋王手飛車を食らうなど、他の神将OBも精彩を欠き、結果は1-4。完封負けを逃れるのがやっとだった。当たりを見た時点でこうなる可能性もあると認識していたが…。

 昼食は神将OB6人で近くのイタリア料理屋へ。同じ料金なのに、パスタは少量でピザはボリューム満点なのがまことに不思議であった。朝の続きのような感じで雑談をしたくらいで、他に特筆すべきことはなかった。

 午後の1局目は10分30秒での対戦。初戦と全く違うオーダーを組んだら、今度は主力同士の対決がなく、神将側がやや不利な当たり方になった。
 私の相手は金岡氏。チェスクロック献上を免れるためには、絶対に負けられない対局である。横歩取りに誘導したら相手は気合良く乗ってきて、8五飛の昔(佐藤−丸山の名人戦の頃)流行した変化に。学生時代の経験が生きる展開で、ほどなく優勢になり、以下無難に勝ちきった。
 今度は接戦になり、2-2で副将の笹尾−吉川戦が残った。優勢な吉川氏が危険な順を選んだのでチャンスが来たかと思われたが、こちらの玉にぴったりの詰みがあった。かくして、チームの負けは早々と決定してしまった。

 最後は10秒将棋勝ち抜き戦。観戦で盛り上がるために敢えて勝ち抜きにしたのだが、チームの勝敗が既に決まってしまっているのが口惜しい。
 阪大神大阪大と交互に勝ち、ここで私の出番となった。相手は金岡氏。今度は矢倉に誘導されたが、急戦を仕掛けて必勝形に。その後多少もたついたものの、大差だったので無事に勝ちきった。
 次の相手は中野氏。相手チームでトップクラスの難敵だ。早石田をされたので乱戦を挑んだ(序盤力がないので駒組み合戦になると必敗なのだ)が、いきなり見落としがあって不利に。これは投了寸前か。しかし、良過ぎて困ったのか相手が自爆、大きな駒得で優勢になった。
 相手からの速い攻めを消し、あとはこちらから攻めるだけ…なのだが、相手玉が堅くどう攻めたら良いのかわからない。結局危険な攻め方をしてしまい、形勢は混沌。10秒だから萎える暇はないが立ち直る暇もなく、訳がわからなくなり、最後はきっちり逆転してしまった。感想戦をする気力も立ち上がる気力もなく、投了後しばらく動けなかった。
 残る2人も中野氏に打ち取られ、10秒勝ち抜き戦が終わった。自分がちゃんと勝っていれば、逆の流れになっていたかもしれないのだが、まあ弱かったということだ。そして、対抗戦は神将の完敗という結果で幕を閉じた。

 続いて打ち上げに向かおうというところで、現役部員から連絡が。神大が大阪市大を下し、第2代表戦の決勝に進出したとのこと。これはものすごい快挙で、自分達が負けた悔しさはいっぺんに吹っ飛んでしまった。
 打ち上げには阪大チームの全員と、神将から私と小林君が参加した。この出席率の差は、両チームの性格を的確に示している。他大学の飲み会に参加することもあった私などは、神将では異端の部類に入るのだ。
 勝った相手チームはもちろん、我々も現役が勝ったから非常に機嫌が良い。お互いのOBの近況や、将棋界の課題など、さまざまな話題で盛り上がった。余談だが、朝昼としっかり食べた上に酒もほとんど飲めない私は、支払いでずいぶん損をした気がする。昼をピザでなくパスタにしておけば…。

 締めは麻雀。小林君は全く打てないので、面子は阪大3人と私。したがって、阪大ルールが適用された。阪大ルールと言っても神将ルールに非常に近く、違いと言えば西入の条件(阪大ではトップ目が33400点持っていないと西入になる)くらいだった。
 勝利の女神はなぜかここで私に微笑み、最初の半荘は倍満ツモ2回でぶっちぎりのトップ。次の半荘は3着だったが、先の貯金が大きく快勝で終わった。
 そして私は、勝つところを間違え過ぎだと思いつつも、上機嫌で帰路についたのだった。

 昔の私ならば、ここで総括と今後の課題ということになるのだが、今回に関しては、やったことに意義があったと思っている。負けたのは残念だが、楽しい1日を過ごせたのだから、それで満足すべきだろう。両チームとも都合の悪く参加できなかったメンバーがいたので、次の機会があればもっと大人数でしたいものである。
 阪大チームの皆さん、どうもありがとうございました。またの機会があればよろしくお願いします。
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2009年06月01日

6年ぶりの学名応援

 家からの移動時間は1時間足らず。会社からだとわずか5kmほど。それなのに、心理的には実に遠く感じられる場所。将棋会館とは、そんな場所だ。
 学生時代、ここに選手として行きたいと思っていた。団体戦ほど情熱を傾けることはなかったが、それでも関西個人戦やオール学生に出場し、上をめざして戦ってきた。しかし、私の実力では将棋会館は遠かった。最も近づいたときでも、あと3勝が必要だった(余談だが、四日市で行われる十傑戦はあと2勝のところまで行った)。
 そんな将棋会館に、応援に行けることになった。母校の後輩である出口雄大君が、学生名人戦の出場権を得たのだ。神戸大学としては6年ぶりの快挙である。3月までは全く考えてもいなかったことで、ただ嬉しいの一言だった。自分が行けなかった大舞台に応援に行かせてもらえるというのは、OBとしては最高の幸せである。

 5月23日(土)、1回戦の序盤戦が繰り広げられている頃に、将棋会館に到着。廊下に神大OBの小林一三君がいたので声をかけ、2人で対局室へ。
「あの茶髪でスーツの子が出口君です」
 小林君に教えてもらう。今風の青年で、およそ神戸大学将棋部の一員とは思えない。新たな時代の到来を実感した。
 その出口君の1回戦は快勝。関東代表として学生名人戦に出場するほどの選手を圧倒するくらいだから、やはり相当強い。これで神大としては13年ぶりの領域に到達した。小林君によると2回戦の相手は相当な強敵のようだが、こうなると上位進出を期待してしまう。
 その後、小林君とドトールで雑談し、2回戦の対局開始に合わせて戻る。いつの間にか観戦者も増えてきた。対局数が1回戦の半分で、人が集中するようになるというのもあるだろうが。
 出口君の2回戦はゴキゲン中飛車VS△7四銀急戦で、小競り合いの後、第2次駒組みが延々と続いた。双方たっぷり時間を使っている。振り飛車の出口君が指せそうに見えるが、実戦的にはいい勝負か。
 他の対局が次々と終わっていく頃に決戦となり、しばらくして居飛車がはっきり優勢になった。6七にいた振り飛車の左金は8六へ追いやられ、7三にいた居飛車の右銀はいつの間にか5五で威張っている。
 勝敗が誰の目にも明らかになっても、出口君は指し続けた。投了する気にならないのだろう。やはり学生はそうでなければ。しかし、奇跡は起きず、神将の6年ぶりの学生名人戦は、ベスト16という結果で終わった。
 感想戦終了後、出口君のところに若い選手が何人か集まり、しばらく雑談をしていた。学生時代にも何度となく見せられてきた光景だ。中学・高校で全国大会の常連だった者は、全国に友達がいる。自分のような三流選手との違いを見せつけられるのは、盤上だけではなかったのだ。しかし、神大将棋部にもようやく、強豪とのパイプを持っている時代が訪れた。そう思うと、感慨深いものがあった。
 3回戦の設営が始まったため雑談は終わり、出てきた出口君と山田祥五君(京都大)に声を掛けて、小林君も合わせて4人でドトールへ。関西学生棋界の近況など、主に将棋の話で盛り上がった。2人とも爽やかな好青年で、大学将棋部員にありがちなアクの強さがまるで感じられない。将棋で負けた後だというのに、偉いものだと思った。
 小1時間ほど雑談して、再び将棋会館へ。3回戦の対局はまだ序盤から中盤の入口で、勝負どころは先のようだ。控室に行ってみたが、既に満員で入るスペースがない。過ごし方が難しいし帰ろうかと思った。他の3人も同じことを考えていたようで、まず小林君が帰り、私と学生2人もほどなく将棋会館を後にした。
 山田君とは千駄ヶ谷駅で分かれ、友人に会いに行くという出口君と秋葉原まで一緒に行く。将棋以外の話もいろいろ聞いてみたが、しっかりとした考えを持っているようで、実に頼もしい。団体戦でもエースとして活躍してくれそうだ。

「ありがとう」
 出口君にかける言葉は、それ以外に思いつかない。彼が活躍したから、我々は応援に行けた。すなわち、彼のおかげでOBとしての最高の幸せを味わうことができたのだ。ただただ感謝するばかりである。
 しかし、彼はこの結果に満足しているはずがない。もっと上をめざしていることであろう。私にできることは何もないが、そんな彼が、そして神戸大学将棋部が、それぞれの目標を達成してくれることを、心より願っている。
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2009年05月11日

久々の大会

 久しぶりに、24以外で将棋を指した。アマ竜王戦の東京都予選である。社団戦も近づいてきたので、調整のために実戦で鍛えておかねば。
 奈良県の大会なら2日目進出(ベスト8)を目標に掲げるところだが、残念ながらここは東京だ。当然、非常に層が厚い。予選(1勝通過2敗失格)突破が現実的な目標だろう。
 会場は日本青年館。将棋の大会などで何度か行ったことがあるが、ここで幸せになった記憶は全くない。まあ、そんなことは考えても仕方がない。とにかく全力を尽くすのみだ。

 予選の1局目、相手の作戦は一手損角換わり。相右玉から私が仕掛けたものの、これが無理筋で圧敗。全く将棋を指したという感じがしなかった。まあ、体力を温存できたから、大熱戦の末に負けるよりはマシなのかもしれない。
 1敗同士の2局目というのは嫌なものだ。お互いなんとか1勝はしたいと思っているだろうが、その思いが悪影響を及ぼすこともある。若い人を引いたら嫌だなぁと思っていた(若手、特に大学生は執念が強い人が多い)が、ベテランとの対戦となった。
 その2局目、今度は矢倉模様から相手が右玉に変化。自信のない局面が続いたが、強引に攻めたら相手が弱気になり、なんとか攻め倒した。これで最低限の目標は達成だ。
 あとはボーナスゲームだが、本戦の抽選で見事に0回戦を引く。相手は聞いたことのある名前。これは強豪を引いてしまったか。まあ、予選も突破したし、思い切り良く指すだけだ。ここで昼食休憩となり、近くのカフェでコーヒーとサンドイッチをいただく。将棋に関しては今さらジタバタしても仕方がないので、携帯電話で競馬の情報を見ていた。
 そして本戦0回戦、またも1手損角換わりをされる。今度は普通の相腰掛け銀になった。先手だが千日手でもいいかと思い(角換わりより急戦矢倉の方が勝率が良い)、じっくり指していたものの、相手に先攻させたのはどうだったか。受け一方では勝てないとみて、質駒ができたところで反撃に出たが、きっちり余されてしまった。

 今回の結果は、可もなく不可もなしといったところだろう。24があるとはいえ、長期休養明けであっさり勝てるほど甘いものではない。
 収穫は、時間一杯考えることができたことである。少なくとも、手拍子で悪手を指すということはなかった。悪手はあったが、それはしっかり考えた結果であり、実力が出ただけのことだ。
 社団戦開幕まであと2ヶ月足らず。いろいろと用事は入ってきそうだが、なるべく将棋に触れるようにはしたいと思う。昨年の社団戦が不本意な結果だっただけに、今年こそは結果を残したいものである。
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2009年02月09日

時の流れとともに

 1日だけ帰省してきた。目的は、奈良県高校の最強者決定戦に顔を出すためである。7〜8年前から毎年この時期に行われているイベントで、中学生や高専生も参加しており、OBも多く顔を出している。
 11年も前に卒業したOBで、しかも東京在住という私が、わざわざ出かけた理由は2つあった。1つは奈良県高校棋界の現状が心配だったから、もう1つは「熱く生きる」という今年のテーマに沿って行動しようと考えたからである。
 前者については昨年5月にも少し書いたが、奈良県全体のレベルは数年前に比べてかなり下がっていて、昨年のGWの大会は活気も今一つだった。ゆえに、それからどうなったがかなり気になっていたのだ。ただの一OBで強豪でもない私にできるのは微々たることだが、それでもいないよりはいいだろう。
 続いて後者だが、正月に今年のテーマとして「熱く生きる」を挙げたものの、仕事が忙しく、具体的な行動には移せないでいた。そのため、ここらで何か行動しないと、テーマを設定した意味がなくなってしまうように思った。そして、自分の持つ「熱さ」を満足させるイベントとして、ちょうどこの最強者決定戦があった。

 では、私が会場で何をしていたかというと、別に大したことはしていない。将棋は2局指して1勝1敗、あとは運営の手伝いをしたくらいである。頼りになる若手OBが何人も来ていたので、私が動き回る必要はなかった。
 それでも収穫はあった。わざわざ行っただけの価値はあったと思えた。それは、参加者がかなり増えていて、活気も戻っていたことをこの目で確認することができたからだ。
 確かに、まだまだレベルは低い。時間を使わずに負けるものも少なくなかった。しかし、これだけ盛況であれば、レベルはおのずと上がっていくだろう。また、誰にでもチャンスがあるという状態も、悪いものではない。大切なのは、これからしっかり鍛えていくことであろう。
 また、大学生の若手OBがたくさん来てくれていたのもたいへん嬉しかった。彼らと同等の力を持つ現役の選手はおらず、彼ら自身の鍛錬にはならないのだが、それでも地元の後輩を鍛えてくれるというのは、非常にありがたいことだ。

 このイベントに参加するのは、今年が最後になるかもしれない。大学生が何人も来てくれているから、もうわざわざ行かなくてもいいかなという気もしている。他のOBと交流したり、顧問の先生方に挨拶をしたりという機会は、他にもあるのだ。
 私は今年30歳になる。高校のOBとしては、もはや若手ではない。また、特別な待遇をしてもらえるほどの実力を持ち合わせているわけでもない。淋しさはあるが、これが現実だ。
 一方で、30歳前後でしなければならないこともある。自分の家族を持つことである。家族を持ち、子供を生み育てることによって、若者が生産されるのだから。そして、それが文化を後世に残していくことになるのだから。
 6年前、最後の一軍戦を戦ったとき、自分たちの時代が終わったことを実感した。そして、そのときと同じような感情を、今の私は抱いている。当時と同様に、これは自然の成り行きだと思う。そう思わせてくれた現役および若手OBの諸君には、感謝の念を持たなければなるまい。
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2009年01月22日

相掛かり

 将棋倶楽部24を利用したリーグ戦「じょんいる杯」の本戦が終わった。対局自体はまだ残っているのだが、私はさっさと全局消化したので、もう終わった気分である。
 今回は、久々に自分の持ち味が発揮できたシリーズだった。予選は逆転勝ちの連続で7勝2敗。本戦は3勝4敗に終わったが、まあ相手関係を考えると悪い成績ではない。

 さて、今回の本戦では珍しいことが起こった。7局中3局が相掛かり、しかも全て引き飛車棒銀だったのだ。これだけ相掛かりを頻繁に指したという記憶は全くない。ちなみに結果は先手番の2局が勝ち、後手番の1局が負けだった。
 相掛かりというのは高校時代好きな戦形だったのだが、大学に入ってからほとんど指さなくなった。受けてくれる相手はほとんどおらず、居飛車党だと当時大の苦手だった矢倉にされてしまうからだ。卒業後に引き飛車棒銀がプロ棋界で流行したが、自分が指すことはなかった。
 ところが、最近になって考え方が変わってきた。矢倉への苦手意識が小さくなり(払拭されたわけではない)、それよりも2手目△3二飛などの力戦振り飛車の方が嫌に思うようになったのだ。そうなると、初手を▲2六歩とするのも有力だ。
 では、なぜ引き飛車棒銀を指したかというと、今期の本戦の開幕戦で某氏に指され、完敗を喫したからである。ネットリーグならではの気楽さで受けて立ったのだが、その結果先手側も持ってみようと思ったわけだ。
 そして先手を持って2戦2勝。この戦法の優秀性を認識した…と言いたいところだが、どうもそんな感じではない。知識があまりないこともあって、駒組みが長いと作戦負けになってしまうのだ。序盤の駒組み合戦が延々と続くのは、私の苦手とする展開なのである。
 それでも、相掛かりというのは指していておもしろい(横歩取りほどではないが)。24だと気軽に指せるし、しばらくは初手▲2六歩でいこうかと思っている。
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2008年12月03日

社団戦が残したもの

 社団戦が終わった。長く苦しい戦いが、ようやく幕を閉じた。
 チームの結果は良かった。初日に2敗を喫し、厳しい戦いを強いられたが、最後は入替戦を制して1部昇格を決めた。チームの一員として、それは素直に喜んでいる。
 しかし、私個人の成績は惨憺たるものだった。まるでチームの役に立たなかった。開幕前はかなり意気込んでいて、昨年以上に実戦をこなしていたが、結果は2勝6敗。情けないの一言である。緊急登板となった最終日の1局は、相手の仕掛けをうっかりしていて、全く話にならなかった。
 正直に言って、自分がこんなに使えないとは思わなかった。神将を支えた主力選手、関西個人戦ベスト8としてのプライドもあり、2部とはいえ指し分けが最低ラインだと思っていたが、それすら全く届かなかった。
 出ても負けてばかりというのは、本当につらいものである。団体戦とは苦しさの中に充実感を見いだすものだと思うが、あまりにも負け続けると充実感を持てなくなる。強豪がひしめいているチームでこれだけ役に立たないと、申し訳ない気持ちの方が強い。

「来年はどうしよう?」
 8月頃から、ずっと考えている。チームが2部なら残留してリベンジをめざすというのが有力だろうが、1部に昇級したとなると勝手が違う。おそらく、私の将棋ではほとんど通用しないだろう。1部で出ても、楽しくないし充実感もないのではないだろうか。
 選択肢は4つ。それでも1部で出る、3部のウエスタンBで出る、移籍もしくは新チーム結成、不参加。いずれかを選ぶことになるだろう。
 来年の社団戦が開幕する頃、自分がどうなっているか、そんなことは想像もつかない。転職も考えているし、結婚活動もしている。全く違う環境に置かれていることも考えられ、そうであることを望んでいる。
 ゆえに、今から来年のことを考えるのは、大して意味がないのかもしれない。私の環境だけでなく、ウエスタンの構成も変わっている可能性があるし、そうなるとチーム編成の都合も変わってくる。
 しかし、それでも私は迷っている。どれが正解かわからず、困っていると言うべきか。その時の状況が決めてくれるとは、とても思えない。
 将棋は、いや、将棋の団体戦は、私の人生において大きなウェイトを占めている。その団体戦といかに付き合っていくか、それは私にとって相当重要な問題なのである。

 今年の社団戦が残したものは、無力感と迷い。これを糧に…などというような気持ちには、今はまだなれない。しかし、そんな自分となんとか折り合いをつけていかなければとは思っている。
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2008年11月03日

11年の重み

 先日、実家から1枚の棋譜が届いた。11年前の棋譜だ。高校選手権男子個人戦の準々決勝、A氏とT氏の対局である。私の地元である奈良で全国大会が開催されたときのことで、この対局の記録を採ったのが私だった。
 対局者の2人は私と同期で、今では友人となっているが、この時までは名前しか知らなかった。前年優勝者VS高専名人。高校県代表にすよらなれなかった私にとっては、2人とも雲の上の存在だった。
 その2人の対局は、大熱戦になった。私に見えていなかった手が次々と出てきて、感嘆させられることが何度もあった。途中では後手のT氏が良さそうに見えたこの将棋は、簡単に寄りそうだった先手A氏の玉が寄らず、結局159手で先手勝ちとなった。
「300手くらい指したかと思った」
 局後にA氏から出た言葉は、今もよく覚えている(本人はどうだか知らぬが…)。私はこの一言を聞いて、そんな熱戦に立ち会えたことに喜びを感じたものだ。

 1ヶ月ほど前、この時の対局者と記録係の計3名が、酒席をともにする機会があった(他の面子もたくさんいたが)。その時にこの将棋が話題に上り、両氏とも棋譜は手元にないとのことで、私は実家に連絡して探してもらうことにした。そして数週間後、1枚の棋譜が届いた。

 私はさっそく盤駒を出し、棋譜を並べ始めた。後手の四間飛車穴熊に先手銀冠。先手が強引に動いたが、無理筋だったようで後手優勢に。しかし、後手の攻め方がまずかったのか先手玉は寄らず逆転。後手は自陣に角2枚を利かせて粘ったものの、先手が勝ちきった。今回並べてみて、そんな将棋のように見えた。
 この感じ方は、11年前とは全く違った。最大の違いは「感触の悪い手」の有無だった。当時はそれが全くわからなかったが、今回並べた際には、それを感じることが何度かあった。
 正直に言って、11年前ほどの感動はなかった。もっと凄い将棋だったような印象があったのだ。それはおそらく、当時の私の目が肥えていなかったからだろう。奈良県内の大会しか出たことがなく、内容の濃い将棋を見たことがほとんどなかったのだ。
 私も11年前よりは強くなっているが、当時の彼らと比べると、やはりはるかに弱い。しかし、11年前の彼らよりも、11年長く生きている。大学、社会人と、何千局も将棋を指し、何千局も将棋を見た。これは紛れもない事実である。
 だからと言って、この1局の価値はなんら色褪せるものではない。今の彼らには指せない、高校生ならではの大熱戦。考えようによっては、大人の将棋よりも価値の高いものだと言えるだろう。

 あの頃は若かった、3人とも。
 並べ終えると酒を飲みたくなったが、もう夜も遅かったので自粛した。
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2008年10月06日

長い長いトンネルを抜けても

 私は震えていた。勝ちをはっきりと意識していた。目の前にあるのは必勝の局面。優勢とか勝勢とか、そんな次元ではない。ものすごい駒得で、相手の攻め駒はほとんどない。反則や時間切れをやらかさない限り、負けようがない局面だ。
 いつの間にか、他の対局は全て終わり、感想戦をしているところすらなかった。ギャラリーもほとんどいない。相手チームのメンバーは数人いたが、ウエスタンのチームメイトは誰もいないようだ。おそらく、チームの勝ちはとっくに決まっているのだろう。
 少し孤独感を覚えた。チームメイト達は機嫌良く雑談をしているに違いないが、自分だけ戦いの場に取り残されている。早く私も彼らと合流したいのに、相手はなかなか投了してくれない。
 形勢がはっきりしてから、既に50手ほど指しただろうか。自分が焦っていること、集中力が落ちていることには、とっくに気付いていた。そして、これまでの連敗は、自分に対する信頼も奪っていた。だから余計に震えた。また負けるんじゃないか。常識的に考えてまずあり得ないことだが、私はそれを強く恐れた。
 相手玉に詰みが見えた。詰みそうな局面はこれまで何度もあったが、絶対の自信はなかったので詰ましにいかなかった。しかし今度は簡単だ。龍を切って桂を打てばあとは並べ詰みだ。桂を打ったところで、ようやく相手が投了。とにかくホッとした。

 ここまで、長い長いトンネルだった。互角以上の形勢で終盤に入りながら勝ちきれない、そんな将棋が続いた。24や一般大会はそうでもないのに、社団戦だけ勝てなかった。この日を迎えた時点で個人成績は1勝4敗で、勝った1局は必敗の局面で相手の時間が切れたものだった。
 原因はわかっていた。心が乱れているのだ。負けが続いているから、早く勝ちたいと思ってしまう。じっとプレッシャーをかけたり、相手の手を殺したり、30秒将棋になるとそんな手が指せなくなる。しかし、わかっていても、対局になると思うように事は運ばなかった。
 正直に言って、社団戦で将棋を指すことが苦痛になりかけていた。チームの役に立たず、自分自身が充実感を味わえず、楽しむことすらできない。これでは社団戦に出る意味がないように思えた。団体戦引退も考えるほど、私は追い詰められていた。
 当日になっても、思いは変わらなかった。割り切って考えることなどできなかった。進退をかけた戦いに臨む、そんな心積もりだった。

 ところが、この日の1局目で、私はまたも優勢だった将棋を落とした。中盤での積極策が功を奏したのだが、その後相手の飛車を追い回したのがヤブヘビで、その飛車を急所に転回され逆転してしまった。
 言うまでもなく、私はかなり落ち込んだ。このまま次の対局に臨んでもまた逆転負けを食らうような気がした。だから、主将には次局外れたいと言った。
 主将の回答は「外しても良いが残りの2局も出られない可能性が高い」というものだった。どうしようか少し迷ったが、結局次も出ることにする。この1局だけで終わるわけにはいかない。しかし、またチームに迷惑をかけるのはないかという不安は、消えることはなかった。

 かくして迎えた本日の2局目、この将棋は作戦があまりうまくいかず、自信のない分かれだったが、相手が強引に手を作ってきたため、それを咎めて優勢になった。この時点ではカウンターで勝つことも考えてはいたのだが、相手が持ち駒の銀を受けに使ってきたので、全駒にすると決めた。
 あとはとにかく安全運転を心掛けた。「詰みより全駒」という、どこかで聞いた言葉を思い出し、石橋を3度叩いても渡らないような指し方をした。某氏は後で「せたさんはフルボッコにしてた」というような表現をしていたが、私にはそんなつもりはなかった。単に負けるのが怖く、絶対負けないように指しただけだった。

 あとの2局は、前述のとおり抜け番である。機嫌を良くしてあとは高みの見物といきたいところだが、私が抜けるとなぜかチームは苦戦する。3試合目は3-4の惜敗だった。私の個人成績が2勝5敗なのに、出た試合のチームの結果は6勝1敗、出なかった試合は1勝3敗だ。相手関係もあるだろうが、不思議なものである。
 4試合目は安心して見ていられる展開だったので、大熱戦だったウエスタンBの試合を主に見ていた。結果はウエスタンAが7-0の完封勝ちを収めたものの、ウエスタンBは惜しくも3-4で敗れた。応援しているとチームが負けるというのは、厄病神になったようで、あまり気分の良いものではない。

 さて、ウエスタンAの順位は現在4位。2位以上で自動昇級という目もないわけではなく、入替戦経由での昇級は自力である。しかし、昇級の可能性を高めるためには、10月の団体個人戦で勝点を稼いでおきたいところだ。
 しかし、ウエスタンAは関西在住者が多く、朝日アマ名人戦近畿地区大会と日程が重なったことから、団体個人戦はメンバーがかなり手薄になる見込みである。
 そういうわけで今度は、自分が期待されていることをひしひしと感じている。団体個人戦は同じくらいのレーティングの選手同士で手合いが付けられるので、ここまで不振の私は相手関係が楽になっているはずである。したがって、ここは私にとって負けられぬ戦いである。
 1つ白星は得たが、まだチームに貢献したという実感は全くない。足を引っ張った分の埋め合わせとしては、勝数1はあまりにも小さい。団体個人戦が不本意な結果だったら、再び引退の2文字が頭をよぎるだろう。
 しかし、団体戦に未練がないわけではない。できることなら、来年は1部で戦いたいと思っている。だが、今の自分にその資格があるとは思えない。だから勝つしかない。自信を取り戻し、チームメイトにも認められる必要がある。
 ゆえに、私はまだまだ戦う。内容ではなく結果のみを求め、勝つことだけを考えて戦う所存である。
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2008年08月18日

再び大会へ

 横浜名人戦に出場してきた。最近、このブログでも将棋の記事が多くなっているが、実際休日の多くを将棋に費やしている。要するに、将棋に関してはある程度やる気のある状態なのである。まあ、他に楽しみがないというのも事実ではあるが。
 仕事がある日とほぼ同じ時刻に起き、ほぼ同じ時刻の電車に乗る。大会会場は横浜でもかなり西の方なので、私の住む江戸川区からはけっこう時間がかかるのだ。もっとも、横浜まで行くと完全に非日常の世界なので、気分転換という意味では悪いものでもない。
 将棋まつりというのはいつもそうだが、会場はかなり混雑している。対局開始までの時間を雑談や練習将棋で潰している人も多い。孤独を感じる時間帯である。こればかりは一朝一夕に解決する手段はなく、何をするでもなく過ごすしかなかった。

 さて1局目、相手が中飛車から無理気味の攻めを敢行してきて、図の局面を迎える。後手の桂得で、しかも8五の銀が遊んでいるので優勢を意識していたが、先手の大駒も急所に利いているので、気持ちの悪いところではある。08Aug1777手.gif
 しかし、ここで△7一金という手があった。以下▲5二飛成△4三銀打と進み、▲6三龍は△5一桂で龍が死ぬので▲4二角成から突撃してきたが、この攻めはさすがに余せる。最後は2枚飛車の攻めを間に合わせて勝ち。珍しく幸先のよいスタートを切ることができた。
 本部に報告に行くと、そこには見覚えのある人物が。この大会も、終わったところから順に手合いを付けていく(私の嫌いな)システムなので、彼と当てられることは容易に想像できた。かくして、次の対戦相手は前朝日アマ名人のK氏となった。
 K氏のゴキゲン中飛車に対して私が序盤で変化技を見せると、相手は長考に沈んだ。彼からすればここで私などに負けるわけにはいかないだろうから、まあ当然だろう。一方、こちらは失うものなどない。トップアマとここで当たったのは不運ではあるが、ローリスクハイリターンなのもまた事実だ。とにかく思い切り良く指そうと思った。
 しかし、いかにリラックスして指していても、実力の差はいかんともしがたい。私が軽視していた仕掛けが実は成立していて、一気に形勢を損ねてしまった。その後も頑張ってはみたが、終わってみれば圧敗だった。
 3局目、相手は高校生くらいの若手選手だった。英春流の出だしからビシビシと早指しで飛ばされ、私ばかりが時間を使う展開に。飛車先は交換したもののその後の攻めの形が作れず、結局大作戦負けになってしまった。
 仕方がないので開き直って攻めさせることにしたが、飛車を見捨てての猛攻を通され、勝負どころもなく完敗。やはり、私の駒組みに問題があったようである。2敗失格なので、これで終了だ。

 冒頭にも記したように、この1ヶ月ほどは積極的に将棋の大会に出ている。これだけ指すのは学生時代以来であろう。ここ数年と異なり、駒を持って指すのが当たり前という感じになりつつある。
 一方で、新鮮味が失われてきたという感覚もある。アマ名人戦予選や米子将棋まつりの時に比べればリラックスして指していて、疲れもそれほど感じないのだが、反面それに物足りなさを覚えてもいる。かつての自分にとっては、将棋の大会というのはもっと熱くなるものだったのだ。
 だが、これが本来あるべき姿なのかもしれない。やるからには全力で指すが、上をめざそうという意欲はない。ならば、個人戦で必要以上に入れ込む必要はないのではないか。
 来年には30歳になる。そろそろ家庭を持ちたいという気持ちは強い。そんな状況で将棋を細々と続けていくにはどうすれば良いのか。その問いの答えが、この横浜名人戦にはあったのかもしれない。
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2008年08月03日

社団戦初日回顧

 社団戦の初日から、1週間が過ぎた。はっきり言って、むちゃくちゃ長い1週間だった。疲れが溜まり、手近な大目標もなくなった状態で仕事中心の生活をこなすのは、かなりつらいものがあった。
 今になって思うのは、いかに自分が気負っていたかということである。主将をしていた昨年よりも、今年の方が入れ込んでいた。自分のプライドを満足させるには、自分自身が勝つしかなかったからだ。
 だが、結果は芳しくないものだった。チームも然り、自分自身もまた然り。それが、疲労を一段と増幅させた。
 そんな社団戦初日を、遅ればせながら簡単に振り返ってみたい。

 初戦の相手は紅萌。京大OBのチームだ。私は大将で起用された。相手側の大将は元アマ名人のK氏。チームメイトは私の勝利を期待しないだろうが、だからこそ一発入れたい。私は闘志満々だった。
 将棋は矢倉模様から私が穴熊、K氏が雁木に組み、互いに神経を使う展開に。30分の持ち時間は双方とも早々と使い果たし、30秒将棋が延々と続いた。
 私が馬脚を現し、はっきり負けの局面になった頃、隣のばとらー氏が投了。ギャラリーが減り、私はチームの負けを悟った。ほどなく私も投了し、スコアは2-5となった。
 敗れはしたが、私個人としては力を出しきれた。団体戦での連勝は残念ながら8で止まってしまったが、それほどショックでもなかった。

 2局目の相手は神風会で、私は抜け番。応援や偵察活動をして過ごした。チームの戦況は芳しくなく、それでもなんとか凌いでくれるのではないかと期待していたが、結果は2-5。
 正直、チーム連敗で3局目に登板することになるとは思わなかった。さきほど他の選手の将棋をひととおり見たが、本来の力を出し切れていない人が多い。ここはひとつ、自分が勝ってチームの連敗を止めてやろうではないか。そんなことを思いながら、次の野島道場戦に臨んだ。

 私は六将での出場で相手はI氏。一手損角換わりをされたので、ことらは端の位を取って右玉に。戦法の性質上、仕掛けどころが難しく、焦ってはいけないという思いもあって、30分30秒の将棋としては異常なくらいのスローペースになり、両者ともほぼ持ち時間を使い果たしてから、戦端が開かれた。
 ここが運命の分かれ目だった。相手が動いた瞬間、角を打ち込めるタイミングがあったのだ。局後に指摘されて気付いたのだが、対局中は他の手を読んでいて、全く思いつきもしなかった。この逸機によって相手に主導権を握られ、苦戦を強いられることになる。
 私の指し手は乱れに乱れ、いつの間にかクソ粘りモードに。投了してもいいかなと思ったが、チームがこういう状態だし、気力のみで指し続けた。時間が押してきたため双方20秒将棋になる。頓死や時間切れの楽しみが生じるので、これは歓迎だ。そして、ついに刀折れ矢尽きたかというところで、相手の時間が切れた。
 勝ちはしたが内容は最悪に近い。体力も相当消耗した。中盤の入口で角を打ち込んでおけば、こんなことにはならなかったのに。チームは6-1。2敗している以上、昇級争いは勝数勝負も考慮に入れなければならず、この私の1勝も貴重ではあるのだが…。

 続いて東北大学OB会との対戦。私は七将での出場で相手はH氏。聞いたことがある名前なので、おそらく主力選手だろう。横歩取りに誘導したが相手は乗らず、相掛かり相中住まいという、あまり見かけない戦形になった。
 お互いに手を出しにくい展開になる。こちらは後手だし千日手でもOKだ。それはわかっていた。しかし、どうせ千日手模様になるなら好形を築いておこうと思ってしまった。神経戦の後手番としてはあまりにも不用意な一手。相手は長考の末、これを的確に咎めた。
 駒割りこそ飛角交換だが、こちらは陣形が上ずっており、飛車の打ち込みが受からない。駒をぽろぽろ取られるのを、指を咥えて見ているしかなかった。あとは持ち時間がなくなるまで長引かせただけ。惨敗だった。
 この時点でチームは3-1で、最終結果は5-2。チームとしては立ち直ったが、私の心が晴れることはなかった。

 自分の勝敗だけを見ると、まあ想定の範囲内ではある。しかし、私は大きな問題の存在を痛感していた。体力の低下である。気力はあっても、スタミナがないため燃料切れを起こしてしまう。
 これは解決する問題なのか。実戦をこなしていけば体力は持つようになるのか。私にはそうは思えなかった。私にとって、個人戦と団体戦は全く異質のものだからだ。体力の消耗も全く違う。
 自分がチームに貢献していくためには、自分のプライドを満たす活躍をするためには、どうすればいいのか。突きつけられたこの問題、答えはまだ出ていない。
 しかし、8月末にはまた社団戦がある。答えが出るのを待ってはいられない。心のもやもやが晴れることはないだろうが、次こそは自分の納得できる結果を出せるように、自分なりに準備していきたいと思う。
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2008年07月27日

未体験の戦いへ

 いよいよ、戦いの時が近づいてきた。私にとって、団体戦とは常に「戦う」もの。それが、個人戦とは決定的に違うところだ。チームの勝利のために全身全霊で戦う、それが団体戦である。
 初めて団体戦に出てから、今年でちょうど10年。人数も形式も異なる、いろいろな戦いを経験してきた。笑ったこともあり、泣いたこともあった。勝利を求め、自分にプレッシャーをかけ、極度の緊張の中で戦ったからこそ、感情の爆発的な高まりがあった。

「勝たねばならぬ」
 何度、そう思ったことだろう。この10年間、ほとんどの戦いにおいて、私はチームの主力選手だった。自分より明らかに強い仲間2人と3人制の団体戦に出たこともあったが、1人が負ければ自分が勝たねばならぬわけで、勝たなくても良い選手ではけっしてなかった。昨年の社団戦は強い仲間がたくさんいたが、メンバーを緩める試合が多かったため、自分はけっこう重要なポジションで出ることが多かった。
 ところが、今回の社団戦は、ここが決定的に違う。自分より明らかに強い仲間多数と一緒に、7人制の団体戦を戦うのである。ゆえに、客観的に見て、自分の対局の重要性はこれまでよりも低い。

 チームのメンバーが固まってから、ずっと戸惑いがあった。自分はどういうスタンスで戦えば良いのか。自分なりに楽しんでも良いのではないか。負けたところで、よほどのことがない限り戦犯にはならないのだから。
 そう、もし自分が主将という立場で今年のメンバーを率いるなら、自分の勝利をアテにはしない。もっと強い選手4人が勝つことを期待し、それをめざして各選手の起用法やオーダーを考えるだろう。
 だが、それに納得していない人間がいる。自他ともに認める団体戦狂である、この私である。
 あいつらは強い。一発勝負ならともかく、何局も指せば絶対に負け越す。だが、自分だってそこそこ強いはずだ。けっして役立たずではないはずだ。実力では劣っても、勝負根性なら負けない。
 そうは思っていても、実際に勝たなければ、周囲も自分も納得しない。だから、とにかく理屈抜きに勝つしかない。せたという選手がいて良かったと、皆に思わせる活躍をするしかない。

 私は戦う。全身全霊で戦う。チームのために、そして団体戦狂を10年も続けてきた自分自身のために。
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2008年07月22日

山陰小旅行顛末(前編)

 米子の駅前に放り出されたのは、7月20日の朝の6時半。眠い。夜行バスでの睡眠時間は実質3時間ばかり。夜型生活が染み付いている私にとって、早寝早起き型のバス(東京の浜松町を出たのは21時前だ)はきつい。結局、午前3時頃まで物思いに耽ってしまった。
 この日行動をともにするstaysilver氏が車で迎えに来るのは7時半頃。それまで時間を潰さねばならぬのだが、あいにく喫茶店やファーストフード店の類はない。駅の待合室で、コーヒーを飲みつつ時間を潰した。
 予定より少し早く、迎えに来たstaysilver氏と合流し、ファミレスで朝食をとる。時間に余裕があったので、食後もだらだらと雑談していた。
 9時頃にファミレスを出て、新日本海新聞西部支社へ。ここで行われる将棋の賞金大会(米子将棋まつり)に出場するのである。
 米子に行く目的は、もともとは旅行のついでにstaysilver氏を訪ねるためであった。しかし、ちょうど当日に大会があることを彼から聞き、では2人で出るかという話になったのである。社団戦の前だし、最近はちょっと将棋を頑張ろうという気になっているので、ちょうど好都合だった。

 受付、抽選を終えて、会場で待機する。賞金が高い(優勝10万円、準優勝2万円、敗者戦優勝2万円)地元山陰勢だけでなく、関西などからの遠征組も少なくない。関西の強豪とは当たりたくないなぁと思っていたが、そのうちの1人であるY田氏を、初戦から見事に引いてしまった。
 ツキのなさを嘆きつつ対局開始。三間飛車対居飛車穴熊で、Y田氏が石田流に構えて先攻するというのは予想通りだったが、こちらの駒組みに問題があり苦しくなる。一応頑張ってはみたものの、慎重に指されて打つ手なし。完敗だった。
 しかし、まだ2万円ゲットの可能性はある。そして、わざわざ米子まで来て連敗終了というのは切な過ぎる。とにかく気を取り直して敗者戦を頑張るしかない。
 その敗者戦、1回戦の相手は地元のベテランI田氏だった。今度は四間飛車対居飛車穴熊になり、相手の無理仕掛けを咎めて優勢に。しかし、その後の指し方に問題があったのか、端攻めをまともに食らって逆転。相手が詰みを逃したためなんとか勝ったが、寒い将棋であった。
 次の相手は地元の高校生M池氏。後で聞いたら、高校選手権の団体戦県代表とのこと。雁木模様にされたので、こちらは右玉に変化。相手が若いので経験値で勝負しようという狙いである。作戦は的中し、早々と優勢になる。
 ところが、ここから勝利までの道のりが長かった。右玉は勝つのに時間がかかる戦法で、相手は時間攻めも視野に入れて(この大会は30分切れ負け)粘りまくる。時間の切迫とともにリードを吐き出し、図の局面を迎える。
08Jul20.gif
 ここではまだ残っていると思っていたが、持ち時間は残り1分ほど。読み切る時間がなく本能的に△7五歩と打ったが、実戦的にはこれが敗着だった。▲6六玉とかわされ、以下5五〜4四〜3四と逃がしてしまい、最後は6秒差で時間切れ負け。図で△6七角なら3四への逃げ道がなく即詰みであることに気付いたのは、短い感想戦を終えた数分後のことであった。
 切れ負けの叩き合いは若いほど有利であり、実戦を多くこなしている方が有利である。私にとって不利な条件ではあった。だが、負けは負けである。棋力はそれほど衰えてなくても、年齢からくる瞬発力、反射神経の衰えは否めないようだ。悔しさと同時に淋しさを覚えた1局であった。
 staysilver氏は危ない将棋の連続ながら勝ち続け、決勝で敗れたものの、堂々の準優勝で賞金を手にした。彼は「せたさんが来ないんなら出てなかった」と言っていたから、私も少しは役に立ったのではないだろうか。

 17時頃に会場を出て、staysilver氏の行きつけの店で3時間ほど遊戯に興じる。両者とも将棋とは逆の結果となった。その後ファミレスで夕食をとり、最後にホテルまで送ってもらう。彼がいなければ移動もままならなかったわけであり、感謝の一言である。
 ホテルの部屋に入り、まずシャワーを浴びる。私は相当に疲れていたようで、まだ23時前だったにも関わらず、あっという間に眠ってしまった。
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2008年07月14日

1年ぶりのアマ大会

 アマ名人戦の都区内予選に出場した。個人としてアマ大会に出るのはほぼ1年ぶりだ。
 この1年の間も細々と将棋は指していたのだが、大会は団体戦しか出ていなかった。仕事で忙しい時期が多かったというのもあるが、むしろモチベーションの問題の方が大きい。
 関西ならともかく、東京の大会に出ても知り合いはほとんどいない。過去にもオール学生などで知り合いのいない状態を経験していたが、大会で話し相手がいないというのは淋しいものである。また、地元の奈良よりはるかにレベルが高いのも明らかだから、わざわざ積極的に大会に出ようという気にならなかったのだ。
 そんな私が大会に出た理由、それは単に「社団戦もあるし、将棋でも頑張ってみるか」と思ったからである。今年は社団戦の主将を退き、気楽な立場なのだが、そうなると自分の対局結果がこれまで以上に気になってくる。今年は2部での出場なので、対戦相手も昨年よりきつくなるだろう。ならば、やはり事前の調整は欠かせない。

 受付開始の10分ほど前に会場に到着。やはり知人もいないなと思っていたら、「せたさん」と声をかけられる。近大OBのN君だった。なんとなく安心感が出る。だからと言って対局に効果があるわけではないが。
 予選は1勝通過2敗失格で、持ち時間は45分切れ負けだった。どちらも初体験のような気がする。とりあえず予選落ちはだるいので、なんとしても1つ勝たなければ。
 1局目、相手は学生風のN越氏。序盤で駆け引きがあったが、結局四間飛車対居飛車穴熊に落ち着く。相手は右玉風に陣形をまとめ、攻守のはっきりした展開に。形勢はやや不利だっただろうが、切れ負けで穴熊なので、頑張ればチャンスが来ると思い、細い攻めを続ける。しかし、相手は全く崩れず、手厚く余されてしまった。
 本部へ行くと、次の手合いを付けられる。終わったものから順に当てていくという方法は、どうも好きになれない。運営側の意図が入り込む余地があるからである。例えば、都内では名の知れた強豪が2人、ほぼ同じ時刻に1局目を落とした場合、この2人を次に対戦させるだろうか。おそらく、少し待って私のような無名選手を当てるだろう。
 この方法では、1度痛い目を見ている。8年半前のオール学生で、1局目を圧勝したまでは良かったものの、2局目に昨年のアマ名人S水上氏、3局目に東大レギュラーのI川氏を当てられ、あえなく予選で飛んでしまったのである。わざわざ関西から遠征したにもかかわらず、萎える結果になってしまった。
 今回も嫌な予感がした。当たったのはベテランのM原氏。確か都代表経験のある強豪のはずだ。この対局は横歩取りになり、こちらが切れ模様の攻めを懸命に続けるという展開になったが、今度もきっちりと余されてしまった。

 こうして、久しぶりのアマ大会は最悪の結果で幕を閉じた。2局ともこちらは持ち時間をほとんど使い果たし、相手側の残り時間も5分を切っていたから、それなりに頑張ったとはいえるが、やはり1局も勝てないというのは萎える。
 帰ってから棋譜を入力していったが、2局とも自分が対局中思っていた以上に苦しい展開だったように思った。私が特に弱いところは中盤の入口、仕掛けのあたりであり、相手が強いとここでの失点を挽回できない。相手側の時間の使い方を見ると、それなりに苦しめたというのは確かだろうが、苦しめるだけでは意味がない。
 ついでに、N越氏の経歴についても調べてみる。元奨励会で、少なくとも2級までは上がったようだ。やはり当たりは相当きつかったようだ。
 運が悪かったのも事実、そして自分が弱かったのも事実。しかし、大会で真剣勝負をしたというのは、まあ収穫と言って良いだろう。次こそは、なんとか白星をもぎ取りたいものである。
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2008年05月11日

ここ数日のこと Part2

 十数年前に毎日通った道を、私は自転車で進んでいた。目的地は我が母校である奈良県立郡山高校だ。
 長い下り坂を進み、幼稚園の手前で左に折れる。上り坂を登りきると、右手にグラウンドが見えてくる。いつものように野球部が練習をしている。数年に一度は甲子園に出るという名門だ。実績といえば将棋同好会も引けを取らず、個人戦ではこの10年で9回全国大会に出ているはずなのだが、高校の内部もいろいろな意味で格差社会である。
 3つある門のうち最もしょぼい西門をくぐり、キャンパスに入る。吹奏楽部の女の子が楽器を吹いている。これも十数年前と変わらない光景だ。
「おはようございます」
 その中の1人から挨拶されて戸惑う。OBになってからも何度かこの場所を通ったが、こんなことは1度もなかった。まあ、卒業してから10年も経つわけで、ちょっと遊びに来たOBの大学生というようには見えないはずだから、驚くようなことではないかもしれないが。
 南館の裏側に回りこみ、自転車置場に自転車を置く。将棋の県大会の会場となっている冠山会館は、もう目と鼻の先だ。

 会場の大部分を占拠している高校生は見慣れない顔ばかりだが、運営本部に座っている先生方は、十数年前からあまり変わらない。まずは挨拶を済ませ、観戦に入る。
 奈良県の高校の大会には、たいていOBが何人も現れる。今回も延べ6人が顔を出した。この先例を作ったのはほかならぬ私であり、私のささやかな自慢でもある。

 大会自体は、正直に言ってそれほどおもしろくなかった。母校の後輩はベスト16までに皆姿を消し、結果も個人・団体ともに大本命が危なげなく優勝したというものであった。また、本命と言っても、今年のレベルが低かったから圧倒的に強かっただけで、数年前の奈良県のレベルでは厳しかったと思われる実力に過ぎない。
 奈良県の高校の大会は十年以上見てきているが、これだけレベルが低いのは自分の世代以来である。自分の世代は、個人での全国大会出場が全くなかった。学年で最も強いのは私だったが、1年生のときは上の世代、2年生以降は下の世代に勝てなかった。
 しかし、レベルが低いというのは、それほど悪いことでもない。レベルが下がれば下がるほど、多くの選手にチャンスが生じる。それは、モチベーションの向上にもつながる。
 初心者からスタートして地道に頑張ってきた選手が日の目を見る。そんな時代があってもいいだろう。母校の後輩に限らず、1人でも多くの選手がチャンスを生かしてくれることを期待している。
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2008年03月02日

熊谷出張記

 メンバーを集めた。下見に行った。会場を確保した。スケジュールを立てた。用具の手配も済ませた。完璧とは言えないが、準備はしっかりとしたつもりだった。このような将棋イベントのセッティングには慣れている。大きなミスをしているはずがない。
 しかし、私の不安は消えなかった。ハード面をいくら準備しても、ソフト面がしっかりしていないと意味がない。参加者の心を満たすような運営ができるかという点に、不安の源はあった。
 関西での活動と異なり、今回は参加者同士が初対面という組み合わせも多く、コミュニケーションの面が心配だった。また、関西からの遠征組は、普段のイベントよりも費用や労力をかけている。当然、それに見合う内容にしなければならない。
 非常に楽しみにする一方で、少なからぬ不安を抱いた状態で、ウエスタンの関東イベントの開催日を迎えた。

 朝、いきなりアクシデントが発生。集合がうまくいかなかったのである。強風のため電車が遅れたのが原因であるが、善後策をとるのが遅かった。熊谷駅から全体集合場所までタクシーを使ったのはやむを得ないとしても、4人のメンバーが食事会途中参加となってしまったのは残念だ。心配していたコミュニケーション不足が、早々と露呈してしまった。幹事としては大きな反省点である。
 八木橋百貨店で、新加入のSさん一家と合流。小学生の参加はウエスタンの歴史の中で(まだ2年半だが)初めてのことである。その後の食事会は、メンバーの到着時刻にばらつきがあったこともあって、近くの席のものと雑談する程度で終わった。
 そして、いよいよメインイベントの将棋である。会場は熊谷市中央公民館の2階和室。古い建物だが、落ち着いた雰囲気で、メンバーの評価も悪くなかった。
 その後、対局を3回戦まで行う。社団戦の形式に近づけるべく、5人横並びでの対局にした。さすがに場の雰囲気は団体戦とは違ったが、白熱した将棋が多かったように思う。3連勝、3連敗はともに1人ずつで、星の偏りはそれほどなかった。これも幹事としては嬉しいことだ。
 私の成績は1勝2敗。ふ〜みん氏との長老対決で逆転負けを喫したのが痛かった。まあ、自分が幹事の場合、イベントを無事に終えるのが第一であり、個人成績はそれほど気にならないのだが。
 注目のSさん姉妹は、厚い壁に跳ね返される結果となった。若さと勢いはあるが、今回は20代組の老練さが勝った。しかし、伸び盛りの2人だけに、次に会った時には全く別人のように強くなっていても不思議はない。負けて思い詰めるような年齢でもないし、将棋を楽しみながら続けてほしいものである。
 19時前に解散して帰路につく。大宮でメンバー3人と夕食をとり、せた邸宿泊のルーク氏とともに帰宅。無事にイベントが終わって嬉しい反面、寂しさもあり、翌日からすっかり気が抜けてしまった。

 今回のイベントの成功により、関東でもウエスタンの活動をやっていけるという自信を持った。メンバーは少なく、仕事で忙しい者も多い。しかし、声をかけたらそれなりの人数は集まるし、楽しく過ごすこともできる。
 一方で、遠征組がいたから人数が間に合ったという事実も否定できない。次回以降、関東でイベントをするのであれば、3連休以上になる時期を選んで実施するべきであろう。それによって、関東勢にも遠征組にもスケジュール調整の余地が生じる。また、2連休では新幹線を使わざるを得ない人でも、3連休ならもっと安い手段を利用できる。
 ウエスタンという団体の存在意義は、何らかのイベントをすることによって高まるものだと思っている。言い換えると、関東にこれだけの人数がいるのに何もしないというのは、宝の持ち腐れである。スケジュールの制約は大きいが、また機会を見つけて、このようなイベントができればと思っている。
posted by せた at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 将棋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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