2009年01月19日

反省と今後

 早々と挫折の気配である。今年はブログを頻繁に更新しようと思っていたはずなのに、2週間も更新が途絶えてしまった。
 書く時間がなかったわけではない。5日から9日にかけては仕事に忙殺されたが、それ以降は比較的余裕があったはずだ。その後の連休には旅行にも出かけているから、書くことがないわけでもない。
 要するに、私の怠け癖が出てしまったのである。安定感とかコンスタントとかいう言葉とはまるで縁がない私だけに、毎日コツコツというのは幼少時から苦手だ。
 しかし、やはりブログをやっている以上は何か書いた方がいい。物事をサボることはしょっちゅうあるが、それは後で自己嫌悪を招く恐れがある。結局、楽をしたようで実は精神衛生上良くないのである。
 では、仕事中心の毎日の中で書けることはあるか。以前にも書いたように、やはり書きたくないことが多い。そうなると、先週の旅行の話を引っ張り出してくるのが簡単でいいだろう。
 私は一人旅がほとんどで、マイナーなところを中心に回ることが多いので、旅行記は一般受けするものではないと思う。しかし、それは他の趣味についても同じことだ。旅行記を書かない理由にはならない。
 また、旅の記録を残しておくことは、後で思い出すのにも便利だ。ある場所に行った記憶はあっても、それがいつのことだったかは時間が経てば忘れてしまう。詳しい行程も同様だ。ゆえに、旅行記を書くことは、記憶を整理するのにも役立つのである。
 そういうわけで、遅ればせながら簡単に旅行記をまとめてみようと思う。朝と夜の通勤電車の時間を割けば、まあ数日でそれなりにまとまるだろう。
 ちなみに、ウエスタンや神将の機関誌の原稿も残っているのだが、それは大した問題ではあるまい。どうせすぐに筆が進まなくなるのだから、その時は別の原稿に移ればいいのだ。
 物を書くのは嫌いではないし、せっかくツールがあるのだから、それを存分に生かしていきたいと思う。
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2009年01月03日

夢飛行

 ドリームフライトという競走馬がいる。つい2週間ほど前までは1000万下にいたが、年末の連闘連勝で一気にオープンまで駆け上がった、いわゆる上り馬である。
 この馬の名前を初めて知ったのは、昨年春の阪神大賞典に格上挑戦した時だった。さすがに一線級とは力の差があったが、マイペースの逃げからよく粘った。
 レースぶりもさることながら、「夢」+「飛行」という馬名が気に入った。また、主戦が西田という無名騎手であることも惹かれた。何をするにも、私はマイナーなものが好きなのだ(馬券をどうするかとは別の話だが)。

 年末から年明けにかけて、私はブログのタイトルをどうしようかと考えていた。前のタイトル「SETAWORLD2008」は、2008年の間しか使えない。そして、2008を2009に変えるだけというのも芸がない。ではどうしたものか。
 そんな時、ふと浮かんだのがドリームフライトという言葉だった。連勝中の勢いにあやかるのもいいだろうと思い、この馬の名前を頂戴することに決めた。

 新たにスタートしたこのブログに、嬉しかったこと、楽しかったことをたくさん書きたい。そして、このブログの次のタイトルを考える頃には、心の底から良い年だったと思っていたいものである。
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2008年12月29日

来年こそは

 王座戦が終わり、会社の忘年会が終わり、そして有馬記念も終わった。いよいよ今年も終わろうとしている。

 年を取るほど月日が経つのが早く感じられるというが、今年の私にはそういう感覚はなかった。今年もやはり長かったというのが、正直な感想である。
 長いというのは、いろいろなことがあったということ。思うようにいかないことが、いろいろあったということ。ストレスが溜まり、それをなかなか消化できないでいる自分が、この1年はずっといた。
 充実した時間がなかったわけではない。仕事などの制約の中でも、それなりに趣味を楽しんできた。一時的に癒やされること、心が洗われることはあった。しかし、それは私の生活そのものを変えるには至らなかった。根底に流れる憂鬱は、どうすることもできなかった。
 最大の問題は、明るい未来が見えてこないということだ。このままではダメだと思い、今年はそれなりにあがいてみたが、結果は出なかった。ゆえに、今年も冴えないまま終わったという印象が強いのだ。

 そういえば、今年はブログの更新もあまりできなかった。前のブログと合わせて3年ほどやっているが、これほど更新頻度が下がったことはなかった(オフラインだった時期を除く)。
 忙しい時期が多かったし、私のサボり癖も理由の1つだろう。しかし、それでも書きたいことがあれば書くはずだ。1時間くらいなら、なんとか捻出できるのだから。
 ゆえに、来年はまず、楽しいことを次々として、書けることを増やしたい。そして、頻繁にブログを更新していきたい。小さな楽しみでもいい。短い文章でもいい。良い話題を文章にすることによって、心も明るくできるのではないか。
 来年こそは良い1年にできるように、小さなことからでも日常を変えていければと思う。
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2008年04月25日

100円でできる非日常

 酔っている。いつも通り、350mlのチューハイを飲んだだけで、すっかり泥酔してしまっている。頭はこの文章を書ける程度の状態だが、歩くと足元はフラフラである。
 さきほど飲んだライムチューハイは、あまりおいしくなかった。糖質80%オフなので、甘みが足りず酸味が強い。私は甘党なので、酒もどちらかというと甘いものが好きだ。
 しかし、酒の味などは飲む目的とは関係ない。飲む目的とは、まさに酔うことなのだから。酒が弱い私は、100円ほどのチューハイだけで酔うことができ、日常を離れることができる。

 飲まなくてもいい、すなわち目の前の現実から離れたくならない状況を作ることができれば、それにこしたことはない。しかし、なかなかそうもいかないのが現状である。
 日常というのは、良いことばかりではない。むしろ、物事がうまくいくことよりも、うまくいかないことの方が圧倒的に多い。ストレスというのは、必然的に溜まるものである。
 ゆえに、次善の策として、私は酒を飲む。仕事の悩みや将来への不安が完全に消えるわけではないが、そういうものに対する感性が鈍くなる時間を持つことで、精神的にはだいぶ楽になるのだ。

 しかし、1つ問題がある。酔っ払ったときの私の姿が、見る人によっては非常におもしろく見えることである。職場の飲み会で、同僚の女性に爆笑された時には、酔っ払いながらもけっこうショックを受けた。
 1人でこっそり飲むのが好きなのは、私の自意識によるところが大きいのかもしれない。
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2008年04月07日

趣味

 趣味が多い人だと、言われることがある。自分ではそういう自覚はなかったのだが、考えてみればそうかもしれない。
 書類などで趣味を記入する欄があれば、将棋、旅行(国内を付けることもある)、野球観戦(スポーツ観戦とする場合もある)としている。順番は状況によって異なるが、この3つはたいてい入れる。特技と記入欄が分かれていれば、特技を将棋にして趣味を残り2つにする。
 そのほか、初対面では言わないが麻雀、競馬あたりはれっきとした趣味である。他にもカタン、信長の野望シリーズといったゲームも挙げようと思えば挙げられる。歴史も趣味と言えなくもない。
 一方で、プロフィールの趣味の欄に1つしか記入がない人もいれば、「趣味は特にないんです」と言われることもある。そう考えると、私は多趣味であると言って間違いはあるまい。

 趣味が多いこと自体は、悪いことではないだろう。多ければ多いほど、他者と共通の趣味を持てる可能性が高くなるのだから。
 しかも、私の場合は「浅く広く」という感じでもない。特別に技能が優れているものはないが、趣味欄に記入するのが恥ずかしいというレベルのものはない。趣味が合えば、誰とでもそれなりに話はできると思う。
 しかし、1つ大きな問題がある。いかに趣味が多くても、一般の女性と合う趣味はほとんどないのである。せいぜい旅行とスポーツ観戦くらいだが、後者はどうも使いにくい。スポーツをする方は全くダメで、体育の成績も惨憺たるものだったため、同じ観戦好きでも体育会系の人とはスタンスが違うように思う。
 私と親しくなるための入口は、広いようで狭いのかもしれない。
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2008年04月04日

暗い話

 最近、結論の出るはずがない難しい話、暗い話をする機会が増えた。こう書くと私の機嫌が悪いように思われるかもしれないが、実はそうでもない。普段の私から考慮すると、むしろ機嫌は良いほうだと思う。
 その理由は簡単で、暗い話もできる相手が東京に来るからである。多人数だと場の雰囲気に配慮することもあるが、信頼できる友人と2人だあれば、できる話の範囲は大きく広がる。すなわち、暗い話ができるというのは、まんざら悪いことでもないのである。
 
 残念ながら、私の日常生活の中では、暗い話をできる相手は全くいない。職場ではどちらかというと一匹狼で(同種の人間が多い所だが)、同僚と仲が悪いわけではないが、やはり気を遣いながらの会話になることがほとんどである。
 しかし、私には将棋という趣味がある。この趣味を通じて知り合った人達、特に大学卒業後もウエスタンという組織で一緒にやっている面々には、少々暗い話、難しい話もできる相手が多い。ゆえに、彼らが東京を訪れたときは、明るい話題に限らず、いろいろな話をすることになる。
 そういう機会が最近増えていて、2月23日のF氏(HN、以下同)から始まり、翌日のR氏、3月16日のS氏、21日のO氏、4月1日のK氏と、この1ヶ月あまりの間に、5人ものウエスタンメンバーと会った。
 彼らとの付き合いは長い。最も短いR氏でも7年、最も長いO氏で9年になる。それぞれ疎遠になっていた時期もなくはないが、それでも年月の重みというものは確実に存在する。
 もし彼らがいなかったら、そう思うとゾッとする。自分1人で抱え込まなければならないことが多くなり、精神的な苦しみに耐えられないのではないか。

 景気のいい話なら、誰とでもできる。しかし、それだけでやっていけるほど、この世の中というものは甘くない。辛いこと、苦しいことのない人生など存在し得ないのだ。
 そして、その辛いこと、苦しいことを自分1人で消化できるほど、人間という動物は強くない。他者と苦しみを共有できるからこそ、なんとか生きていけるものなのではないかと思う。
 できることなら、暗い話はせずに済ませたい。しかし、それで生きていけるほど、私は強い存在ではない。ゆえに、暗い話もできる相手と会話することを、私はいつも楽しみにしているのである。
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2008年03月28日

食の変化

 仕事が忙しく、昼食が遅くなった。ようやく某定食屋に入ったのは午後6時。昼を抜いて夕食をとったと言うべきかもしれぬが、私の生活パターンでは、まだ昼の方が近い。
 当然のことながら、腹は減っている。間食は一切しないと決めて今週から実行しているので、朝から食べたのはパン1個だけだ。しっかり食べて、この食事を昼夜兼用にしようと思っていた。
 さて、ライスのおかわりが無料でできる場合、必ず権利を行使するのが私の定跡だ。1杯だけで済ませた記憶はない。今回も1杯目をさっさと平らげ、店員に声を掛ける。しかし、運ばれてきたライスを見た時、「多いな」と感じた。こんなことは滅多にないのだが。
 案の定、途中から胃が苦しくなってくる。完食するのはさして困難ではなかったが、それでも食べ過ぎたという実感はあった。
 それから7時間が過ぎたが、まだ腹が減る気配はない。むしろ、まだ満腹感があるくらいである。

 このような現象は突然起こったわけではない。ここ数日で、胃が小さくなったような気がするのである。
 話は先週の金曜にさかのぼる。遊びに来ていたおなかぽんぽこ氏と銭湯に行ったのだが、その時体重を量ったところ、自己ワーストを更新していた。さすがにヤバいと思った私は、対策を考えることにした。
 そして、今週から間食をやめることにした。だらだらと食べるから太るのだ。3度の食事はそのままでも、それなりに効果はあるに違いない。
 ところが、効果はそれだけにとどまらなかった。間食をやめたために、空腹感を覚えることは増えたのだが、だからと言って3度の食事の量が増えるわけでもなく、むしろ普段の量さえもキツくなってきている。

 食べる量が少なくなると、必然的に体重は減るだろう。それ自体は喜ばしいことだ。しかし、これほど急な変化があると、逆にどこか悪くしているのではないかという気もしてくる。
 とりあえず、食事のリズムを乱すのは避けたい。変則になると体にも悪いだろうし、異状が出ていたとしても気付きづらくなるだろう。しかし、果たしてうまくいくかどうか…。
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2008年03月10日

不調のバロメータ

 なんとなく不調である。いろいろと不調である。何をやっても、どうも今一つうまくいかない。
 仕事はちょっと落ち着いて、先週半ば以降は早めに帰っているので、体力はそれほど消耗していない。体調もそれほど悪くない。忙しかった頃に比べたら、何かをするのに良い環境にはなっている。しかし、どうも成果が上がらないのである。

 好不調のバロメータとしてまず挙げられるのは、自分の感性および思考を信じられるかどうかである。自分を信じられる時は好調で、信じられない時は不調になる。
 将棋を例に挙げると、時間に追われて読みきれない場合、好調時は第一感の手を指せるが、不調時はそれができない。30秒将棋であれば、25秒くらいで思いついた手をろくに読まずに指し、きっちり咎められてしまう。そして、さらに自分が信じられなくなる。大型連敗が多いのは、この悪循環にしばしば陥ってしまうからだ。
 麻雀などのゲームもそうだ。迷った結果としてひねった打ち方をしても、たいていはうまくいかない。場の状況をちゃんと把握してさえいれば、たいていは第一感の手が正解なのだ。

 では、なぜ自分が信じられなくなるのか。それは、自分が勝負強いタイプだと思えないのが最大の原因であろう。
 学生時代、私は一軍戦を10回経験したが、そのうち結果を残せたのはわずか2回だけだ。残りの8回は、急所でチームが負け、目標を達成できなかった。成功率2割では、お世辞にも勝負強いとはいえない。
 客観的に見れば、相手チームのほうが強かったという要因もあるだろう。しかし、当時の私はそうは思えなかった。毎回毎回いいところまで行くのに結果が出ない。そのことが、自分を追い詰めていたのだ。
 この意識は今も変わらない。社団戦においても、昇級候補同士の直接対決では、自分を起用しなかった。もちろん選手起用上の都合もあり、他の候補も頼りになるメンバーばかりだったが、自分が勝負弱いという意識が根底にあったことは否定できない。

 この固定観念を打破するには、勝負どころで結果を出すしかない。結果を出すには、自分を信じることが必要だ。しかし、自分を信じきれるほど、私は勝負強くない。この10年くらい、このサイクルにはまっているように思う。
 好調を一過性のものにしないためには、これをなんとか解決しなければならないのだが…。
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2008年02月23日

春の訪れとともに

 冬の終わりとともに、今年もあの季節がやってきた。この数日の間に、苦しんでいる人が一気に増えた。そう、花粉症である。
 数年前まで、自分は花粉症とは縁がないつもりだった。花粉アレルギーは文明病らしいので、文明以前の生物と勝手に自称して喜んでいたのだが、どうやらそうではないらしい。
 そうは言っても、私はいわゆる花粉症ではない。鼻はなんともない。喉も大丈夫だ。しかし、目がどうもいけない。目に花粉が入るためか、コンタクトレンズの付け心地が悪化するのである。
 私が装備しているのは酸素透過性ハードレンズで、ソフトレンズに比べると、ずれたり外れたりすることが多い。
 私と知り合ってから長い人は、特に何もないのに目を真っ赤にしている私の姿を見たことがあるのではないかと思う。これは、何らかの理由によってコンタクトレンズがダメージを受け、目の状態が悪化しているのである。
 こうなることが多いのは春、少ないのは秋。これはコンタクトを装着するようになってからずっと変わらない。花粉などの異物が多く混じっている春は、私にとって苦しい季節である。

 もう1つ、コンタクトレンズにとっての強敵は風である。風が強いと、目に異物が入ることが増える。時には目を開けていられないほどの痛みを味わうこともある。
 今日は非常に風の強い日で、一部路線が電車の運転を見合わせるほどであった。こういう状況で花粉も多いとなると、目の調子が良いはずがない。歩いている間に右目のレンズがずれ、1時間ほど左目のみを頼りに行動する羽目になってしまった。
 コンタクトがずれたとしても、すぐ鏡を見られる状態なら良いのだが、そもそも風の影響を受けるのは野外なので、なかなか簡単にはいかない。そういうこともあって、片方がずれた状態で過ごすことも少なくない。落ち着かない環境で直そうとすると、レンズを落としてしまう恐れがある。それなら、ずれていても目の中に入っているほうが安全なのである。

 しかし、対処法を身に着けているにしても、目の調子が悪いというのは嫌なものである。春そのものは嫌いではないのだが、花粉と強風はどうにかならないものか…。
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2008年02月01日

睡眠あれこれ

 疲れ気味である。正月休みが終わってからまだ1日も休んでいない。それだけ忙しいわけで、1日24時間から仕事・通勤と睡眠を引くと、2時間を切ってしまう。
 しかし、それでも睡眠時間は6時間半ほど取るようにしている。他のことを犠牲にしてでも、睡眠時間を確保しているわけだ。寝ることは、日常における数少ない楽しみなのである。

 こういう過ごし方はもったいないという考え方もあるだろう。睡眠時間を1時間削れば、それだけプライベートが充実する。外出はしないにしても、できることは山のようにある。世の中には4〜5時間、あるいはもっと短い睡眠時間で生活している人がたくさんいるから、やってできないはずがない。
 しかし、私はどうもそういう気にはならない。1時半を過ぎると、何かをしたいという欲求より睡眠を取りたいという欲求の方が強くなる。深夜は大して頭も働かないし、寝不足だと後が辛いし、もう寝るかという気になるのだ。
 見方によっては、そんな私は怠惰であるとも言える。自分を磨き高めようという意志が、睡眠欲ごときに負けているのだから。この考え方を私は否定しない。そういう価値観もありだと思う。だが、自分らしく豊かに生きるには、このくらい寝ていても問題はあるまい。

 さて、話は変わるが、私の睡眠時間が長いのは、幼少時の環境の影響が大きいと思っている。具体的に言うと、4人兄弟の一番上という立場で、弟達と同じ部屋で寝ていたため、就寝時間が早く設定されていたのだ。小学生の間は9時に寝ていた。今から思えば、よく反抗しなかったものだ。
 その代わりと言うのは変かもしれぬが、早起きと昼寝の習慣は高校までについていた。当時は遅くとも7時には起きていて、休日などはよく昼寝もしていた。
 大学に入ってから生活は夜型になったが、睡眠時間は高校時代からさほど変わらず今に至る。昼寝が好きというのも変わらない。三つ子の魂百までとは、よく言ったものである。

 さて、例によって眠くなったので、そろそろ寝ることにしよう。しかし、気が向いたら寝るという1人暮らしの気楽さは、虚しさを伴うものだなぁ…。
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2008年01月19日

寒さを比べる

 ここ数日、東京も寒くなってきた。朝は布団から出るのが辛くなり、昼も食事等で職場から外出するのが億劫になる。
 しかし、寒いといっても奈良に比べれば幾分マシだ。奈良にいた頃は、年が明けるとこれほどの寒さは毎日のことだった。北国の人間ではないので東京が暖かいとは思わないが、まあ楽なものだという印象はある。
 もう1つ、この時期の奈良盆地は風がきつい。西の方から強風が来るので、西に向かって自転車を走らせるのは大変だ。それに比べると、東京の都心部は風があまりないので凌ぎやすい。

 では、実際奈良と東京ではどのくらいの気温差があるのだろう。気になったので少し調べてみた。
 まず気温の平年値だが、1月18日の奈良は最高8.5℃、最低-0.3℃であった。これに対し、東京は最高9.5℃、最低2.0℃となっていた。
 この差をどう見るか。とりあえず、最低気温の差は大きい。盆地の朝は冷え込むのだ。では最高気温はどうか。1℃という差ではあるが、30年間の平均値であることを考えると、奈良の方がはっきり寒いと見るべきであろう。
 続いて平成20年1月18日、すなわち1時間ほど前に終わったばかりの日のデータを調べてみた。奈良の最高気温は8.3℃、最低気温は-1.7℃で、東京の最高気温は5.7℃、最低気温は2.1℃であった。
 このデータから見ると、18日昼の東京はかなり寒かったことになる。しかし、それでも最低気温が2.1℃もあるということに驚かされる。奈良との差は4℃近い。
 今年1月の気象データの一覧を見たところ、東京はまだ1度も氷点下になっていない。東京の寒さが厳しくないと思うのは、このあたりにも理由がありそうだ。

 だが、予報を見たところでは、これから数日は東京のほうが寒そうである。20日、21日の奈良の予報には傘のマークがあり、東京の予報には雪だるまのマークがある。
 上京して1年弱の私は、東京の雪など体験したことはない。果たして交通は大丈夫なのだろうか…。
posted by せた at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日

簡単で難しい質問

「東京のどの辺なん?」
 これはよく受ける質問である。特に、関西に帰っている時には聞かれることが多い。そして、意外に答えるのが難しい質問でもある。

「江戸川区」
 東京にいれば、この回答でもさして問題はない。江戸川区の位置は、だいたい皆知っている。もっと詳しい説明を求められたら、都営新宿線の船堀だと答えれば良い。
 ところが、相手が関西人となると、そうもいかない。江戸川区の位置がわからない(私も上京するまでは知らなかった)ことが前提になるため、説明が難しくなる。
「東京の東の端。千葉県まで3キロほど」
 日本地図が頭に入っている相手なら、この答えが簡潔で良いだろう。ディズニーランドの近くと言う手もあるだろうが、ディズニーランドの正確な位置を日本地図上に示すのは、それほど簡単ではない気がする。

 こんなことを書いているのは、先日帰省した際に、ある弟から質問を受けたからである。そして、次に来た質問も、何度となく受けてきたものだった。
「何線?」
 年に何回か客人が来ることもあって、アクセスもよく聞かれる。とりあえず、普通は以下のように答えるところだろう。
「都営新宿線」
 この回答は無難なようだが、誤解を招く恐れがある。確かに新宿線沿線ではあるが、新宿の近くではないのだ(乗り換えなしで行けるから距離の割に時間はかからないが)。
「都営新宿線で、新宿から東に30分」
 この答えが正解であろう。急行に乗れば20分ほどだが、急行は昼間しか走っていないので、わざわざ説明を煩雑にする必要はないだろう(昼間はたいてい私が不在だし、そもそもそんな時間に来る者などいない)。

 さて、ここからは弟のオリジナルである。
「JRで言うと何線の近く?」
 この質問にはちょっと感心した。彼も東京を全く知らないわけではない。地下鉄の路線網はややこしくて手に負えないが、山手線や中央線、総武線くらいはわかるのだ。
「総武線の南側。ほぼヘイコウ(平行とも並行とも取れる)」
 これが良い回答だったようだ。厳密にはヘイコウではない(そもそも、新宿線の終点の本八幡は総武線との連絡駅だ)が、最も離れている新小岩〜船堀でも3kmくらいだし、関西人への説明としては簡潔で良いだろう。

 ところで、冒頭の質問はよく受けるのだが、以下のような質問はほとんど受けたことがない。
「奈良のどの辺なん?」
 15年ほど住んだ大和郡山の説明も、たまにはしたいと思うのだが…。
posted by せた at 01:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

希少種の思い

 コンタクトレンズを使い始めてから、もうすぐ12年になる。正確な日付は覚えていないが、高校1年の冬だったことは間違いない。スポーツと縁のない生活をしていることもあって、12年間ハードレンズ一筋だ。
 12年前と言えば、近視がかなりの勢いで進んでいた時期だ。私が使っていた眼鏡のレンズは、ほぼ1年ごとに厚みを増していた。鏡を見れば、どうしても目のあたりばかりが目立つ。当時の私は、それが嫌だった。
 その頃は、周囲でもコンタクトレンズ利用者は増加傾向にあった。私と同じように容姿を気にした者もいただろうし、スポーツをするのに便利だと考えた者もいただろう。高3の頃は、眼鏡をかけていたのはクラスでも数人だけだったのではないだろうか。

 ところが、20代半ばあたりから、これと逆の現象が起こり始めた。コンタクトレンズ利用者が、どんどん希少種になっていくのである。学生時代には眼鏡をかけておらず、卒業後に眼鏡にした者も少なくない。
 私は男ばかり4人兄弟の長兄で、4人ともコンタクトレンズを利用した時期はあるのだが、今もコンタクトなのは私と大学生の末弟だけだ。間の2人は、いつの間にか眼鏡に戻していた。
 学生将棋を通じて知り合った友人達にも、同様の傾向ははっきり現れている。もともと将棋界には眼鏡使用者が多いが、以前にも増して眼鏡が増えているように思う。
 私はコンタクトの使用をやめるつもりはないが、この傾向が当てはまらないかというと、そうとも言い切れない。眼鏡で行動することが、数年前よりもかなり増えているのである。
 学生時代、眼鏡で人前に現れるのは、徹夜麻雀や徹夜カラオケ、あるいはコンタクトを紛失した時くらいのものだった。ところが、最近はそうでもない。月に1回くらいではあるが、眼鏡で買い物等に出かけることがある。

 他の人のことはわからないが、私が眼鏡で外出する理由は単純だ。要するに、コンタクトを着けるのが面倒なのである。ではなぜ常時眼鏡にしないかというと、容姿は眼鏡をかけない方が良いと思っているからである。
 2つの思いを天秤にかけた時、月に1度くらい前者が勝つようになった。要はそういうことだ。だが、数年前は必ず後者が勝っていた時わけだから、私の考え方は確実に変わってきている。
 前述のように、当面はコンタクトを使い続けるつもりである。しかし、弟達や多くの友人と同じ道をたどる日は、案外遠くないのかもしれない。
posted by せた at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月06日

新しい年に

「一年の計は元旦にあり」
 日本人をやっていると、何度となく聞かされる言葉である。3学期の始業式で頻出し、同時に目標を持って努力することの大切さを説かれることが多いのではないか。

 しかし、自分の記憶をたどってみると、年の初めに新たに計画を立てて、それを1年間実行できたという経験は全くない。そもそも、コツコツと何かを続けていくような計画を立てたことすらないような気がする。
 これまで私が立てた目標は、必ず「○○という結果を得る」というものだった。例えば、大学時代は「一軍戦でA級に昇格する」というのが大きな目標だった。「昇級するために○○をする」というような誓いを立てたことはない。

 このことは、私の人間性をよく示していると言える。理想主義者で現実性に乏しいところがあり、具体的に何をするかは成り行き任せだったりするのである。
 プロセスにこだわらない、計画に縛られないという面もあるから、これは私の長所であるとも言える。しかし、自分の性格が災いして、実行すべきことができなかったり、後手後手に回ってしまったりという失敗も数知れない。

 理想主義者をやめるつもりはない。それは、自分が自分でなくなるということだ。第一、やめようと思ってやめられるものでもない。
 しかし、理想と現実の配合比率は変えていくべきだろう。現実の比率を高めていかないと、かえって理想が遠ざかっていくように思える。

 このような思考の中で、またしても抽象的な目標を立てている自分に気付き、改めて呆れている次第である。それに気付いただけでも進歩したと言えるかもしれないが。
 そこで、とりあえず明日の具体的な目標を立てた。それは「手帳を買って、確定しているスケジュールを全て記入する」ことである。
 手帳は毎年買っているのだが、複雑な生活をしているわけではないし、記憶力も良いほうなので、いちいちスケジュールを記入するのが面倒になる。そのため、いつの間にか手帳は持っているだけになってしまうのだ。
 なるべく多くの事象を手帳に記入し、それを頻繁にチェックできるようなら、私の短所も多少は改善されるのではないだろうか。
posted by せた at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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