2008年11月25日

東北秋旅・その5

 朝7時45分、北上行の列車が横手駅を出発。前日ほどではないが、この日も早いスタートだ。東側の席に陣取ったので、朝日が眩しい。とりあえず缶コーヒーとパンで朝食を済まし、その後は時刻表で行程を確認して過ごした。
 ほっとゆだという駅で降りる。ここで途中下車した理由は、駅舎内に温泉銭湯があるからである。せっかく東北に来たのだから、やはり温泉はぜひ行っておきたいところだ。
 改札を出て、まず銭湯へ。250円は安い。規模としては小さいが、先客はけっこういる。地元のおっちゃんが朝風呂に来ているようだ。連れ立って来ていて大きな声で喋るので、いささか肩身が狭い。
 湯船に足をつけて驚く。熱い。じっと浸かっていられるのは1〜2分だ。地元のおっちゃん達もここは熱いと言っている。このあたりは小規模の温泉が多いから、おそらくいろいろ行っているのだろう。
 風呂から上がり、少し休憩して午前9時。駅前の観光案内所が開く時刻で、私はさっそくそこでレンタサイクルを借りた。次の列車は10時48分発なので、まだ2時間近くある。ここはサイクリングを楽しむ一手だ。もちろん、近辺の地図もいただいて行く。DSCN0266.JPG
 この駅と温泉は、錦秋湖というダム湖のすぐ近くにあり、自転車を1分もこぐと、湖畔にたどり着いた。人工の湖ではあるが、山に囲まれた湖というのは風情があり、景色も美しい。
 湖に沿って自転車を走らせる。この湖は東西に長く、瓢箪のような形をしており、地図によると手頃な場所に橋がある。この橋を利用し、ぐるっと回って駅に戻ってくれば良いだろう。
 予定通り橋を渡り対岸へ。右側は山が迫っており、落石注意の標識がある。ほかに、クマ出没注意という旨の看板もあった。人の気配は全くなく、1人で通るのは若干心細い。
 しばらく進むと周囲が開けてきた。公園があり、人が何人かいるようだ。そのそばには川が流れていて、湖との境にはダムが設置されている。DSCN0286.JPG
 公園を抜けてダムの方に行ってみる。ここは貯砂ダムらしく、詳しくはわからぬが砂を貯められるような仕組みになっているのだろう。一般人の通行も可能で、ちょうど滝の裏側に入れるようになっていた。目の前を大量の水が落ちていくのは、なかなか迫力がある。
 さらに自転車を走らせ、駅の方へ向かう。これと言って見るべき物もなく、予想以上に早く進んだ。そのため20分ほど時間が余ってしまったが、特に何をするでもなく、先頭のカウンターも兼ねている駅の売店で地元産の牛乳を買って飲んだくらいだった。
 そして、予定通り北上行の列車に乗り込む。けっこう混雑していたが何とか空席を見つけ、北上まで一眠りした。
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2008年11月17日

東北秋旅・その4

 酒田を15時37分に出た東能代行は、秋田へと北上していく。私は特にすることもなく、携帯電話で競馬の結果を調べるなどして、のんびりと過ごした。
 次第に太陽が西に傾いてくる。17時頃には日が暮れるだろう。この先の区間は海沿いを通るはずなので、うまくいけば海に沈む夕日を眺められるかもしれない。
 ガラガラの車内でそんなことを考えていたのだが、この平和な時間はあっけなく終わってしまった。途中の駅でハイキング帰りの客が大量に乗ってきて、立ち客も出るほどの状態になったのだ。数人のグループがいくつもあるようで、それぞれ雑談で盛り上がっていて、かなり騒がしい。
 やがて、電車は海岸沿いにさしかかる。車窓からは夕日が見えるらしく、興奮している客が多い。私は海側の席で山側を向いて座っていたのだが、反対側の席から人が押し寄せてきて、息苦しいほどだ。首を回せば海に沈む夕日を眺められることはわかっていたが、そんな気にもならなかった。スペースが狭くて他の客にぶつかりそうで、他人に迷惑をかけてまで見ようとは思わなかったのだ。
 車内から夕日を見る代わりに、私は電車を降りた。下浜という駅だった。この日は横手まで行く予定で、1本後の電車でも20時前には横手に着く。すなわち、あと1回途中下車できるのだ。ならば、この喧騒を回避し、静かな海を眺めるのがいい。
 駅を出たところにコンビニがあり、その右手には海岸へと下っていく階段がある。「下浜海水浴場」の表示もある。コンビニに立ち寄った後、階段を下る。
 数分歩いて砂浜に入る。海水浴場だけあって、夏は海の家として稼動しているらしい建物もいくつかあった。誰もいないだろうと思っていたが、1つだけ人影があった。誰もいないよりかえって不気味だ。
 太陽は雲に隠れていたが、夕焼けは美しい。波打ち際まで歩き、何枚か写真を撮った。風がきつく、かなり寒い。ずっとここにいたら風邪を引きそうだ。とりあえずコンビニに戻り、ホットドリンクを買って、駅のベンチで飲んだ。DSCN0237.JPG
 まだ時間はたっぷりある。そこで、少し休憩した後、再び海岸に下りた。当然ながら、先程よりも暗くなっている。再び景色をカメラに収める。
 駅に戻り、再び先へ進む。今度はうるさい行楽客もおらず、撮った写真を見るなどしてのんびりと過ごした。秋田で湯沢行に乗り換え、本日の最終目的地である横手に向かう。

 横手に着いたのは夜の8時前。まだ宿をとっていなかったので、駅前にあったビジネスホテルに電話してみる。1泊素泊まり4500円とのことで、即座にここに決定。それ以上に節約しなければならないという局面ではない。
 荷物を置いて少し休んだ後、夜の街に繰り出す。目的は名物・横手焼きそばを食べることだ。駅に広告を出している店に行ってみたが、臨時休業だったので、駅前にある居酒屋に入る。ここでも横手焼きそばを食べることができ、実はけっこう有名店のようだ。
「なんにする?焼きそば?」
 見知らぬ客を見た店員のおばちゃんは、こう声をかけてきた。おそらく私のような旅行者はけっこういるのだろう。
「とりあえずビールで」
 少し酔ったところで、待望の横手焼きそばをいただく。焼きそばの上に目玉焼きが乗っているのが特徴だ。肉は挽き肉を使っており、これも珍しい。名物だけあって、味はなかなか良かった。卵と焼きそばは相性が良い。欲を言えば、もう少しボリュームがあればなお良かったが。
「あら、色男」
 支払いをしようとした際、店員のおばちゃん(さっきの人とは別人)にこう言われて、「どこがやねん」とツッコミを入れたくなった顔面真っ赤の酔っ払いがいたことは内緒である。

 こうして、朝5時前から始まった長い1日が終わった。無事に1日を終えた喜びよりも、あと1日で非日常が終わることによる憂鬱さの方が大きかった・
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2008年11月09日

眼鏡生活

「誰かと思ったよー」
 昼過ぎ、作業のために出社すると、入口付近で煙草を吸っていた某氏にそう言われた。残念ながら休日出勤自体は珍しいことではない。私が眼鏡をかけているのが珍しかったのである。
「実は右のコンタクトを割ってまいまして…」
 こうなると、事情を説明するのが話の流れというものだ。朝、コンタクトレンズ装着前に指でこすって洗浄していると、突然感触が変わった。よく見ると割れていた。ゆえに眼鏡で生活する以外にない。
「しかし全然違うねー」
「変装に使えるくらいでしょ」
「うんうん」
 このやり取りが示すように、眼鏡をかけているのとかけていないのでは、全く雰囲気が違うようである。まあ、度がきつくてフレームがけっこう目立つ眼鏡をかけている以上、当然といえば当然なのだが。

 では評判の方はどうかというと、眼鏡も結構悪くない。ある人によると、コンタクトだと怖い顔に見えることがあるという。確かに、対局中の表情などは、人によっては怖いかもしれない。眼鏡だとそれが和らぐということだろう。
 もっとも、だからと言ってコンタクトレンズ使用をやめるつもりはない。かなり厚いレンズの眼鏡を使用しており、鏡で見てもそれが目立つので、眼鏡姿はどうも好きになれないのである。
 だが、とりあえずあと2日は眼鏡で生活するしかない。眼科に行ってコンタクトを処方してもらったのだが、レンズが取り寄せになるらしく、月曜にならないと手に入らない。即入手したかったので規模の大きいところへ行ったのだが、意味がなかった。
 しかし、月曜に手に入るだけでも、よしとしなければなるまい。もし船堀周辺で行っていたら、開いている時間帯に行くことができず、受け取る見通しすら立たなかっただろうから。
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2008年11月03日

11年の重み

 先日、実家から1枚の棋譜が届いた。11年前の棋譜だ。高校選手権男子個人戦の準々決勝、A氏とT氏の対局である。私の地元である奈良で全国大会が開催されたときのことで、この対局の記録を採ったのが私だった。
 対局者の2人は私と同期で、今では友人となっているが、この時までは名前しか知らなかった。前年優勝者VS高専名人。高校県代表にすよらなれなかった私にとっては、2人とも雲の上の存在だった。
 その2人の対局は、大熱戦になった。私に見えていなかった手が次々と出てきて、感嘆させられることが何度もあった。途中では後手のT氏が良さそうに見えたこの将棋は、簡単に寄りそうだった先手A氏の玉が寄らず、結局159手で先手勝ちとなった。
「300手くらい指したかと思った」
 局後にA氏から出た言葉は、今もよく覚えている(本人はどうだか知らぬが…)。私はこの一言を聞いて、そんな熱戦に立ち会えたことに喜びを感じたものだ。

 1ヶ月ほど前、この時の対局者と記録係の計3名が、酒席をともにする機会があった(他の面子もたくさんいたが)。その時にこの将棋が話題に上り、両氏とも棋譜は手元にないとのことで、私は実家に連絡して探してもらうことにした。そして数週間後、1枚の棋譜が届いた。

 私はさっそく盤駒を出し、棋譜を並べ始めた。後手の四間飛車穴熊に先手銀冠。先手が強引に動いたが、無理筋だったようで後手優勢に。しかし、後手の攻め方がまずかったのか先手玉は寄らず逆転。後手は自陣に角2枚を利かせて粘ったものの、先手が勝ちきった。今回並べてみて、そんな将棋のように見えた。
 この感じ方は、11年前とは全く違った。最大の違いは「感触の悪い手」の有無だった。当時はそれが全くわからなかったが、今回並べた際には、それを感じることが何度かあった。
 正直に言って、11年前ほどの感動はなかった。もっと凄い将棋だったような印象があったのだ。それはおそらく、当時の私の目が肥えていなかったからだろう。奈良県内の大会しか出たことがなく、内容の濃い将棋を見たことがほとんどなかったのだ。
 私も11年前よりは強くなっているが、当時の彼らと比べると、やはりはるかに弱い。しかし、11年前の彼らよりも、11年長く生きている。大学、社会人と、何千局も将棋を指し、何千局も将棋を見た。これは紛れもない事実である。
 だからと言って、この1局の価値はなんら色褪せるものではない。今の彼らには指せない、高校生ならではの大熱戦。考えようによっては、大人の将棋よりも価値の高いものだと言えるだろう。

 あの頃は若かった、3人とも。
 並べ終えると酒を飲みたくなったが、もう夜も遅かったので自粛した。
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2008年11月02日

東北秋旅・その3

 酒田に着いた私は、まず駅構内の観光案内所へ。レンタサイクルを借りようと思ったのだが、残念ながら全て貸出中とのこと。仕方がないので、パンフレットの類をいくつかもらって街へ繰り出す。
 まずは駅の北西にある本間美術館へ。ここは、日本一の大地主と言われた本間家の別荘「清遠閣」と庭園、企画展のある新館からなるスポットだ。まず新館に入り、1kmほど離れた本間家旧本邸との共通券(1400円)を購入。続いて新館を一通り回ったが、企画展が書道に関するもので、私には全くわからず、早々と退出した。
 庭園を通って清遠閣に向かう。有名な大名庭園にはさすがに見劣りするものの、規模も大きく美しい庭だった(写真上)。鶴岡ではずっと晴れていたのに、ここに来て空が曇ってきたのは少し残念。清遠閣も趣向が凝らされた建物で、なかなかおもしろかった。DSCN0145.JPG
 その後、15分ほど歩いて本間家旧本邸へ。昼食がまだなので、途中に適当な店があれば入ろうと思っていたが、何も見つからぬまま目的地に到着。ここは屋敷と別館(店舗)が公開されているのだが、先に別館から入る。ここは本間家が使用していた商売道具などの資料展示もあり、土産物の販売も行われていた。団体客が多く賑やかだが、逆に自分は浮いているような感じで、早々に脱出した。
 次に向かいの屋敷へ。本間美術館で買ったチケットを出し、中に入って適当に見学していると、スタッフの女性に呼び止められる。今から説明が行われるらしい。
 入口近くに集まった客は、20人くらいはいただろうか。中年〜初老の人が多く、孫らしき少年を連れた人もいる。着物の女性の説明は、年季の入ったバスガイドさんという感じで、1対1だった鶴岡の旧風間家「丙申堂」とはずいぶん違った。
 説明によると、ここは幕府の役人が泊まるために用意された武家造の部分と、本間家が使用する商家造の部分に分かれていて、素材等も全く異なっているという。言われるまで気付かなかったが、確かに説明を聞くと一目瞭然だ。他の説明もわかりやすくおもしろかったのだが、建物の中を集団でぞろぞろ歩いていると、自分がツアー客になったみたいで、いささか妙な気分だった。何を見るにも良い位置は取れないし、快いものではない。
 ここは撮影禁止だったので、集団で邸内を一通り回った後、すぐに外へ出た。次の目的地は徒歩数分のところにある旧鐙屋だ。引き続き市街地を通るのだが、やはり食事に適当な店はない。しかし、時間の余裕もないので、無理に探すことはせず旧鐙屋へ直行した。
 旧鐙屋は江戸時代に栄えた廻船業者で、入ってすぐの所に船のミニチュアがある。スタッフが数名のグループに対して概要の説明をしていて、その終了後には私1人に対しても説明をしてくれた。DSCN0175.JPG
 ここも屋根には石が使われていて、数年前に全面的な解体修理をしたばかりだとか。確かに柱や壁は比較的新しいように見える。人形を使って江戸時代の様子を再現しているところもあった(写真中)。この日だけで商家はいくつも回ったが、それぞれ見せ方にも個性があって、実におもしろい。
 ここは撮影自由だったので、何枚か写真を撮った後脱出。次は10分ほど歩いて山居倉庫へ。ここは米を貯蔵した倉庫が並んでかおり、一部は土産物屋や資料館になっているものの、残りは今も現役の倉庫だとか。
 入口付近はかなり混雑していたが、先へ進むとそれほどでもなかった。ショッピングをしている人が多いようだ。木造の倉庫が十数棟並び、ケヤキの大木がそれと平行に列を成しているさまは、壮観であった(写真下)。DSCN0202.JPG
 倉庫の1つを利用した庄内米資料館などにも寄りたかったが、時間がないので断念。歩いて駅に戻ることにする。依然として空腹感は相当なものだが、もう駅で何か買う以外にない。
 途中で酒田町奉行所跡を発見。小さな祠と奉行所のミニチュアが乗った石碑がある以外は、ただの空き地という感じだった(ミニチュアはよくできていたが)。灯籠状のボックスにパンフレットが入っていたので、1部いただいて行く。
 酒田の街を少々急ぎ気味に歩き、駅に帰り着く。キヨスクでサンドイッチと缶コーヒーを買い、秋田方面東能代行きの電車に乗り込んだ。


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2008年10月20日

東北秋旅・その2

 私はぶらぶらと歩いた。めざすは鶴岡公園(鶴ヶ岡城址)を中心とする、史跡が集まるエリアだ。しかし、主な施設は9時からしか入れないので、まっすぐ行くと時間が余ってしまう。寄り道をしながら行けば、良い時刻になるだろう。
 ちょっとした史跡に立ち寄ったり、川を泳ぐ鴨の写真を撮ったりして(鶴岡は実にカモが多い!)時間を潰し、鶴岡公園に到着したのはちょうど9時頃であった。
 私がたどり着いた入口の先には鳥居があり、奥には神社の社殿が見える。これはよくあることだが、左手に動物の檻が2つあるのは珍しい。1つには猿、もう1つには孔雀や鶏などの鳥類が飼われていた。無料で見られるのは良いが、飼育費に見合う集客力があるかは疑問だ。
 堀の向こうに白壁の洋風建築が見えたので、まずはそこに行ってみる。大宝館という大正時代の建物で、中は明治以降の庄内の人物を紹介する資料館になっていた。手短に見学を済ませ、再び堀の外へ。
 次に訪れた致道博物館は、今回の旅で最も楽しみにしていた施設だ。ここの敷地内には庄内地方の古い建物が集められていて、庄内藩酒井家の庭園もあるという。愛知県にある明治村の小型版のようなものだろうか。
 この予想は全くの外れではなかったのだが、こちらは街中ということで敷地が狭い。中には新しい建物もあり、全体的に窮屈な印象を受けた。順路があるようなので、1つずつ順番に見ていくことにする。DSCN0066.JPG
 それぞれの詳細は省略するが、歴史のある建築物は、いずれも相応の風情があり、なかなかおもしろかった。博物館というだけあって、中に展示のある建物がほとんどだが、内部に関して特に良いと思ったのは、養蚕農家の内装を残している旧渋谷家住宅(写真上)くらいだった。まあ、700円という料金を考えると、こんなものだろうか。
 続いて庄内藩校「致道館」を訪ねる。江戸時代の藩校の建物の一部が今も残っていて、内部も見学できる(写真中)。藩校の歴史や概要についての展示もおもしろかった。無料ということもあって、ここは大満足。DSCN0087.JPG
 次は少し歩いて旧風間家住宅「丙申堂」へ。ここは明治時代に建てられた商家で、初老の女性が内部を案内してくれた。まさか単独の客に案内が付くとは。客が少なく人手が余っているのだろうが、それにしても驚いた。
 この家の最大の特徴は、瓦ではなく石を置いた屋根だとのことで、2階に案内されて窓から眺める(写真下)。確かにこれは珍しい。その後、1階も一通り案内してもらい、写真も何枚か撮った(ここは撮影自由)。DSCN0098.JPG
 少し歩いて風間家の別邸「釈迦堂」へ。これも明治時代の建物らしい。こちらは案内こそなかったが、純和風の建築と庭園を堪能できた。料金は丙申堂、釈迦堂共通で400円。鶴岡の施設はどこも良心的だ。
 釈迦堂を出たのは11時半頃。鶴岡駅12時12分発の列車で酒田に向かう予定なので、そろそろ時間がなくなってきた。できれば鶴岡で昼食を取りたかったのだが、適当な店はなく、店を探す時間もない。近くのバス停まで少し歩き、バスで鶴岡駅へ移動。
 予定通りの列車に乗り込む。朝起きたのが5時前で、鶴岡でもかなり歩いて疲れていたため、あっという間に眠ってしまった。
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2008年10月17日

東北秋旅・その1

「庄内に行こう」
 そう思い立ったのは、もう半年以上も前のことだった。酒井氏の城下町・鶴岡と海運業で栄えた港町・酒田。ネット等で調べれば調べるほど、どちらも魅力的に感じられた。
 庄内地方を通ったことは、何度もある。秋田、青森方面に行く際、たいてい経路になるからだ。しかし、なるべく遠くへ行きたいという気持ちもあってか、鶴岡や酒田で途中下車して市内観光を楽しむということはなかった。今から思えば、もったいないことをしていた気がしなくもない。
 この半年あまりの間、具体的にプランを立てたことは何度かあり、夜行列車の座席指定を取ったこともあった。しかし、諸々の事情により、実現には至らなかった。
「やっと行ける」
 これが、出発にあたっての正直な思いだった。

 10月12日の午前5時前、新潟駅で夜行快速ムーンライトえちごを追い出された(終点だから当然だが、時間帯からしてそんな気持ちになる)私は、快速村上行きに乗り継ぐ。意外によく眠れたためか、車内がやや寒かったためか、眠気はあまりなかった。途中で空が白み始める。こんな時間に起きていることなど滅多になく、旅をしていることを改めて実感した。
 村上からは酒田行きに乗り継ぐ。ここからしばらくは、笹川流れと呼ばれる景勝地だ。線路が海のすぐ近くを通っており、目の前には海岸線や奇岩、遠くには粟島が見える。車内は旅行者が多く、デジカメで車窓の風景を撮る人も何人かいた。
 線路が海から離れると、車窓は米どころ庄内の田園風景に。平凡な風景だが、東京という超のつく大都会に暮らす私にとっては新鮮だ。これは、極めて不自然で不健康な生活をしていることの証明であるとも言える。
 最初の目的地である鶴岡に着いたのは7時半を少し回った頃。朝食がまだだったので、まずは駅前にあったミスタードーナツに入った。
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2008年10月06日

長い長いトンネルを抜けても

 私は震えていた。勝ちをはっきりと意識していた。目の前にあるのは必勝の局面。優勢とか勝勢とか、そんな次元ではない。ものすごい駒得で、相手の攻め駒はほとんどない。反則や時間切れをやらかさない限り、負けようがない局面だ。
 いつの間にか、他の対局は全て終わり、感想戦をしているところすらなかった。ギャラリーもほとんどいない。相手チームのメンバーは数人いたが、ウエスタンのチームメイトは誰もいないようだ。おそらく、チームの勝ちはとっくに決まっているのだろう。
 少し孤独感を覚えた。チームメイト達は機嫌良く雑談をしているに違いないが、自分だけ戦いの場に取り残されている。早く私も彼らと合流したいのに、相手はなかなか投了してくれない。
 形勢がはっきりしてから、既に50手ほど指しただろうか。自分が焦っていること、集中力が落ちていることには、とっくに気付いていた。そして、これまでの連敗は、自分に対する信頼も奪っていた。だから余計に震えた。また負けるんじゃないか。常識的に考えてまずあり得ないことだが、私はそれを強く恐れた。
 相手玉に詰みが見えた。詰みそうな局面はこれまで何度もあったが、絶対の自信はなかったので詰ましにいかなかった。しかし今度は簡単だ。龍を切って桂を打てばあとは並べ詰みだ。桂を打ったところで、ようやく相手が投了。とにかくホッとした。

 ここまで、長い長いトンネルだった。互角以上の形勢で終盤に入りながら勝ちきれない、そんな将棋が続いた。24や一般大会はそうでもないのに、社団戦だけ勝てなかった。この日を迎えた時点で個人成績は1勝4敗で、勝った1局は必敗の局面で相手の時間が切れたものだった。
 原因はわかっていた。心が乱れているのだ。負けが続いているから、早く勝ちたいと思ってしまう。じっとプレッシャーをかけたり、相手の手を殺したり、30秒将棋になるとそんな手が指せなくなる。しかし、わかっていても、対局になると思うように事は運ばなかった。
 正直に言って、社団戦で将棋を指すことが苦痛になりかけていた。チームの役に立たず、自分自身が充実感を味わえず、楽しむことすらできない。これでは社団戦に出る意味がないように思えた。団体戦引退も考えるほど、私は追い詰められていた。
 当日になっても、思いは変わらなかった。割り切って考えることなどできなかった。進退をかけた戦いに臨む、そんな心積もりだった。

 ところが、この日の1局目で、私はまたも優勢だった将棋を落とした。中盤での積極策が功を奏したのだが、その後相手の飛車を追い回したのがヤブヘビで、その飛車を急所に転回され逆転してしまった。
 言うまでもなく、私はかなり落ち込んだ。このまま次の対局に臨んでもまた逆転負けを食らうような気がした。だから、主将には次局外れたいと言った。
 主将の回答は「外しても良いが残りの2局も出られない可能性が高い」というものだった。どうしようか少し迷ったが、結局次も出ることにする。この1局だけで終わるわけにはいかない。しかし、またチームに迷惑をかけるのはないかという不安は、消えることはなかった。

 かくして迎えた本日の2局目、この将棋は作戦があまりうまくいかず、自信のない分かれだったが、相手が強引に手を作ってきたため、それを咎めて優勢になった。この時点ではカウンターで勝つことも考えてはいたのだが、相手が持ち駒の銀を受けに使ってきたので、全駒にすると決めた。
 あとはとにかく安全運転を心掛けた。「詰みより全駒」という、どこかで聞いた言葉を思い出し、石橋を3度叩いても渡らないような指し方をした。某氏は後で「せたさんはフルボッコにしてた」というような表現をしていたが、私にはそんなつもりはなかった。単に負けるのが怖く、絶対負けないように指しただけだった。

 あとの2局は、前述のとおり抜け番である。機嫌を良くしてあとは高みの見物といきたいところだが、私が抜けるとなぜかチームは苦戦する。3試合目は3-4の惜敗だった。私の個人成績が2勝5敗なのに、出た試合のチームの結果は6勝1敗、出なかった試合は1勝3敗だ。相手関係もあるだろうが、不思議なものである。
 4試合目は安心して見ていられる展開だったので、大熱戦だったウエスタンBの試合を主に見ていた。結果はウエスタンAが7-0の完封勝ちを収めたものの、ウエスタンBは惜しくも3-4で敗れた。応援しているとチームが負けるというのは、厄病神になったようで、あまり気分の良いものではない。

 さて、ウエスタンAの順位は現在4位。2位以上で自動昇級という目もないわけではなく、入替戦経由での昇級は自力である。しかし、昇級の可能性を高めるためには、10月の団体個人戦で勝点を稼いでおきたいところだ。
 しかし、ウエスタンAは関西在住者が多く、朝日アマ名人戦近畿地区大会と日程が重なったことから、団体個人戦はメンバーがかなり手薄になる見込みである。
 そういうわけで今度は、自分が期待されていることをひしひしと感じている。団体個人戦は同じくらいのレーティングの選手同士で手合いが付けられるので、ここまで不振の私は相手関係が楽になっているはずである。したがって、ここは私にとって負けられぬ戦いである。
 1つ白星は得たが、まだチームに貢献したという実感は全くない。足を引っ張った分の埋め合わせとしては、勝数1はあまりにも小さい。団体個人戦が不本意な結果だったら、再び引退の2文字が頭をよぎるだろう。
 しかし、団体戦に未練がないわけではない。できることなら、来年は1部で戦いたいと思っている。だが、今の自分にその資格があるとは思えない。だから勝つしかない。自信を取り戻し、チームメイトにも認められる必要がある。
 ゆえに、私はまだまだ戦う。内容ではなく結果のみを求め、勝つことだけを考えて戦う所存である。
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2008年08月22日

懐かしの街へ

 あと数時間したら、旅に出る。1日休みを取り、土日と合わせて3連休にして、関西に帰るのである。つい2週間ほど前に帰ったばかりだが、またイベントがあるので、2度帰るのは夏前からの予定通りだ。
 当然のことながら、月に2度も帰省するとなると、財政は非常に厳しい。もちろん、出費に見合う価値のあるイベントだと思うから帰るわけだが、現代日本人にふさわしくない価値観なのかもしれない。まあ、このあたりは自分の存在の根幹に関わるところなので、直すつもりは全くないが。
 しかし、金がないというのは厳然たる現実である。そこで、今回の帰省は青春18きっぷを使うことにした。家族が使ったものが1回分残っていたので、それを送ってもらった。これで、片道の交通費は2300円で済む。
 では経路をどうするか。普通は東海道だが、何度も通ったルートであり、おもしろみがない。しかも、魅力的な観光地はほとんど駅から離れているので、何をするにも金がかかる。
 そこで、朝早く起きられたらという条件付きだが、中央本線回りで行くことにした。こちらはあまり行ったことがないし、駅から徒歩圏内に温泉などもある。列車の本数が少ないという制約はあるが、朝寝坊しなければ途中下車はできる。
 ルートは決めたが、実はそれ以上のことはほとんど決めていない。そもそも寝坊したら東海道で行くし、要するに行き当たりばったりである。1人旅だし、車内で暇に過ごすよりは途中下車駅を考えながら過ごす方が、精神衛生のためにも良いだろう。

 さて、土曜も実は夕方まで用事がない。実家で休養という手も有力だとは思うが、最近行きたくなった街があるので、そこに行こうと思う。その街とは、私が学生時代を過ごした懐かしの街、神戸である。
 神戸での思い出は尽きない。3年半という期間は今となってはそれほど長い年月ではないが、一軍戦に情熱を燃やし、麻雀を楽しみ、学業やバイトもそれなりにやっていたこの3年半は、実に貴重で実りの多い時期だった。私のアイデンティティが固まった時期であるとも言える。
 当然、ゆかりのある場所も多い。多過ぎて、どこに行こうか迷うくらいだ。とりあえず大学近辺は外せない。三宮や元町は行きやすくてありがたみがないが、神戸に行くとなるとやはり捨て難い。住吉や御影も懐かしい気分に浸れるだろう。滅多に行かなかったが、須磨や垂水に行くのも悪くない。
 おそらく、どこへ行くかは当日まで迷うことになるだろう。しかし、それはそれで悪いことではあるまい。学生時代の思い出を呼び覚まし、行先を考えつつ感傷に浸るのもいいだろう。そして、どこへ行ったとしても、それなりの感慨はあるはずである。

 今、私は単独行動の機会を減らす、すなわち独身生活を卒業するための活動を行っている。私の望みがかなえば、1人旅をすることはほとんどなくなるだろう。来年も再来年も1人旅の機会がたくさんあるならば、それは私が不本意な暮らしを続けているということだ。
 だから、今は今しかできないことを思い切り楽しむべきだろう。そのためにも、肩の力を抜いて、その場その場で適当に行動するようにしたい。単独行動の特権を生かすことが、1人でいるという現状を最大限に活用することなのだから。
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2008年08月18日

再び大会へ

 横浜名人戦に出場してきた。最近、このブログでも将棋の記事が多くなっているが、実際休日の多くを将棋に費やしている。要するに、将棋に関してはある程度やる気のある状態なのである。まあ、他に楽しみがないというのも事実ではあるが。
 仕事がある日とほぼ同じ時刻に起き、ほぼ同じ時刻の電車に乗る。大会会場は横浜でもかなり西の方なので、私の住む江戸川区からはけっこう時間がかかるのだ。もっとも、横浜まで行くと完全に非日常の世界なので、気分転換という意味では悪いものでもない。
 将棋まつりというのはいつもそうだが、会場はかなり混雑している。対局開始までの時間を雑談や練習将棋で潰している人も多い。孤独を感じる時間帯である。こればかりは一朝一夕に解決する手段はなく、何をするでもなく過ごすしかなかった。

 さて1局目、相手が中飛車から無理気味の攻めを敢行してきて、図の局面を迎える。後手の桂得で、しかも8五の銀が遊んでいるので優勢を意識していたが、先手の大駒も急所に利いているので、気持ちの悪いところではある。08Aug1777手.gif
 しかし、ここで△7一金という手があった。以下▲5二飛成△4三銀打と進み、▲6三龍は△5一桂で龍が死ぬので▲4二角成から突撃してきたが、この攻めはさすがに余せる。最後は2枚飛車の攻めを間に合わせて勝ち。珍しく幸先のよいスタートを切ることができた。
 本部に報告に行くと、そこには見覚えのある人物が。この大会も、終わったところから順に手合いを付けていく(私の嫌いな)システムなので、彼と当てられることは容易に想像できた。かくして、次の対戦相手は前朝日アマ名人のK氏となった。
 K氏のゴキゲン中飛車に対して私が序盤で変化技を見せると、相手は長考に沈んだ。彼からすればここで私などに負けるわけにはいかないだろうから、まあ当然だろう。一方、こちらは失うものなどない。トップアマとここで当たったのは不運ではあるが、ローリスクハイリターンなのもまた事実だ。とにかく思い切り良く指そうと思った。
 しかし、いかにリラックスして指していても、実力の差はいかんともしがたい。私が軽視していた仕掛けが実は成立していて、一気に形勢を損ねてしまった。その後も頑張ってはみたが、終わってみれば圧敗だった。
 3局目、相手は高校生くらいの若手選手だった。英春流の出だしからビシビシと早指しで飛ばされ、私ばかりが時間を使う展開に。飛車先は交換したもののその後の攻めの形が作れず、結局大作戦負けになってしまった。
 仕方がないので開き直って攻めさせることにしたが、飛車を見捨てての猛攻を通され、勝負どころもなく完敗。やはり、私の駒組みに問題があったようである。2敗失格なので、これで終了だ。

 冒頭にも記したように、この1ヶ月ほどは積極的に将棋の大会に出ている。これだけ指すのは学生時代以来であろう。ここ数年と異なり、駒を持って指すのが当たり前という感じになりつつある。
 一方で、新鮮味が失われてきたという感覚もある。アマ名人戦予選や米子将棋まつりの時に比べればリラックスして指していて、疲れもそれほど感じないのだが、反面それに物足りなさを覚えてもいる。かつての自分にとっては、将棋の大会というのはもっと熱くなるものだったのだ。
 だが、これが本来あるべき姿なのかもしれない。やるからには全力で指すが、上をめざそうという意欲はない。ならば、個人戦で必要以上に入れ込む必要はないのではないか。
 来年には30歳になる。そろそろ家庭を持ちたいという気持ちは強い。そんな状況で将棋を細々と続けていくにはどうすれば良いのか。その問いの答えが、この横浜名人戦にはあったのかもしれない。
posted by せた at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 将棋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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