2008年08月14日

充実と憂鬱(後編)

 8月11日、朝10時前に実家を出て、天王寺に向かう。本日の目的地は近鉄百貨店阿倍野店、近鉄将棋まつりに参戦するのである。10時から受け付けている毎日新聞社杯には間に合わないので、13時からの早指しトーナメントに出るつもりでいた。
 近鉄百貨店の10階に着いたのは11時前。とりあえず誰か知り合いはいないかと探してみる。毎日新聞社杯のトーナメント表には知っている名前がいくつもあったのだが、皆対局中なので話し相手はいない。9階でおなかぽんぽこ氏に会ったが、彼は有料ゾーンに入っていった。
 結局、私はいったん近鉄百貨店を離れた。Mioで服を見たり(何も買わなかったが)、王将で昼食をとったりして、12時半頃に戻る。ちょうど13時からの早指しトーナメントの受付が始まるところで、受付を済ませた後、対局開始まで少し睡眠をとった。
 13時から手合がつけられ、ほどなく対局開始。相手がゴキゲン中飛車をしてきたので、試しに右玉で対抗してみた。序盤はまずまずだったが、その後の方針が悪かったようで、食い付きを許してしまい圧敗。不完全燃焼だったので、14時30分からの早指しトーナメントにも出ることにした。
 次の1回戦も対中飛車で、今度は普通に舟囲いに。相手側が48玉型で5筋を交換してきたので、無条件で45角から馬を作って優勢に。終盤追い上げられたものの、なんとか逃げ切った。
 2回戦、今度は相穴熊。駒得になり優勢を意識したが、攻め合うか受けに回るか方針を迷う。15分切れ負けで相穴熊という理由から前者を選択したが、これがどうだったか。実戦は相手が詰みを逃して辛勝。運には恵まれているようだ。
 3回戦も相手が四間飛車穴熊を選択。定跡と違う手順で組んできたので、思い切って咎めにいったが、失敗し見事な作戦負けに。じっくり指されたら苦しかったが、短期決戦に来られたためチャンスが生じ、相手のポカもあって最後は圧勝形になった。これでベスト4だ。
 結果報告に行くと、そこには見覚えのある顔が。阪大OBのしんじ氏だ。トーナメント表を見たところ、準決勝の相手は彼だった。彼も関東で働いているのだが、ちょうど関西に帰ってきたところらしい。連休も終盤に差し掛かろうとしている私からすれば、羨ましい限りである。
 私の希望で少し時間を取り、10分ほどして対局開始。後手しんじ氏のウソ矢倉に対し、私は急戦でガンガン攻めた。堅くはないが、攻めてる、切れない、時間リード。実戦的に勝ちやすいと思っていた。
 終盤の入口で私に甘い手があり、かなり追い上げられたが、時間のリードは大きかった。図の局面で私は残り2分ほど、対して相手は30秒ほど。そして、ここで慌てて指した△6七金が敗着となった。詰めろになっていない上に、金の質駒ができてしまった。感想戦で調べたところ、ここで△5八角なら後手勝ちという結論となった。08Aug1477手.gif
 こうして、先程は1回戦で圧敗した私が、なんと決勝まで勝ち上がってしまった。特に調子が良いとも思わないし、実際に悪手もかなり指しているのだが、とにかく運に恵まれている。あと1つ勝てば、早指しトーナメント4年ぶりの優勝だ。
 しかし、悪運もここまでであった。龍谷大現役のT氏との決勝は、相手の一手損角換わりから私が右玉に構えたのだが、中盤の入口で一歩交換しようとした手を見事に咎められ、あとは一方的に打たれるばかり。この日の初戦に続き、将棋を指した気がしないほどの圧敗であった。
 短い感想戦を終えた私に、スタッフから賞品が渡された。飯塚六段著「最強棒銀戦法」だった。棒銀はすることもされることも滅多にないので、実用性は微妙だが、まあ何かの役には立つだろう。
 準決勝のあたりから姿を見せていた桃山学院大OBのロックマン氏としばし雑談し、一緒に天王寺駅まで行く。しんじ氏やロックマン氏など、旧知の人物と予期せずばったり会うことが多いのも、近鉄将棋まつりの醍醐味の1つだ。彼らがいなければ、私にとっての将棋まつりは、将棋を指すだけの味気ないものになっていただろう。
 その後、私は和歌山県の橋本市に向かった。父方の祖母を訪ねるためである。夕方頃に行くつもりだったのだが、ずいぶん遅くなってしまった。しかし、それは決勝まで勝ち進んだことが原因であり、電車の中でも私は上機嫌であった。

 そして連休最終日。疲れていたこともあって、15時過ぎまでは休養に充てた。それまでほとんど見ていなかった五輪中継も多少は見た。競技が何であっても、スポーツ観戦というのはおもしろいものだ。
 新今宮を経由して、新大阪から新幹線で東京へ。既に夕食の時間帯になっていたこともあり、過ごし方は往路と同じ。まずは酒、次は弁当である。酔っ払わないと憂鬱で仕方がないというのが、正直なところである。
 こうして、この夏最大の連休は終わった。スタートがちょっと遅れたのは残念だったが、それ以外はやりたいことをほぼ予定通りこなせたし、結果もまずまずだった。充実した連休だったと思う。
 連休が終わる憂鬱さもいつもながら相当なものなのだが、それは私の性格上致し方ない。近いうちにまた関西に帰ることになりそうなので、また充実した時間を過ごしたいものである。
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2008年08月13日

充実と憂鬱(前編)

 連休が終わった。再び仕事中心の生活が始まると思うと憂鬱なのだが、それはいつものことだ。振り返ってみれば、たいへん充実した3日間だった。あっという間に過ぎ去ったけれど、印象に残ることがいくつもあった、そんな3日間を、簡単に振り返ってみたい。

 9日の夕方、私は神田駅から山手線に乗り込んだ。本当はもっと早く出るつもりだったが、仕事が入ってしまったのだ。なんとか片付けたとはいえ、機嫌が良かろうはずがない。
 東京駅で50分ほど時間をとり、必要な物を買う。買ったのは家族への土産、暇潰し用の本、そして缶ビールとおつまみである。そして、18時30分発の新幹線のぞみで、私は東京を後にした。
 京都までの所要時間は2時間20分。ただ寝るのみで過ごすにはちょっと長い。そう思ったので本を買ったわけだが、これは正解だったようだ。ビールを飲み、車内販売で弁当を買って食べた後、本を半分ほど飲んだあたりで睡魔に襲われ、気付いた時には京都到着の直前だった。
 京都からは近鉄で大和郡山へ。会社を出てから実家に着くまでおよそ5時間。新幹線とは実に便利なものだと、改めて思った。

 翌日はウエスタンの麻雀大会。これが連休のメインイベントである。朝10時頃に実家を出て梅田へ向かう。久しぶりに会う友人も多く、最近麻雀をほとんど打っていなかったので、大会が楽しみで仕方なかった。
 この麻雀大会は今回が4回目で、盆と正月の恒例行事として定着してきた。今回は欠席者が多かったが、それでも10人集まるあたりがウエスタンの恐ろしさである。
 さて、この大会は優勝すれば名人、最下位になったら銀行の称号が贈られるのだが、名人位を争うか銀行回避を狙うことになるかは、序盤の2〜3半荘で決まる。どうせなら名人レースに加わり、銀行争いは高みの見物といきたいところで、そのためにはスタートダッシュが肝心だ。
 幸いにして私は序盤戦から好調で、staysilver、three colors両氏と名人位を争う展開に。逆に、私の得点源となってくれたおなかぽんぽこ氏は、銀行レースを独走する羽目になった。
 中盤でレースが動く。three colors氏がα氏から国士無双を和了したのだ。これで名人レースが独走状態、銀行レースが混戦になる。しかし、α氏は次の半荘でトップを取り、銀行争いからは脱出した。
 最終半荘を迎えた時点で、トップは依然としてthree colors氏。2位がstaysilver氏、3位が私という状況だった。私が名人を奪取するのは事実上不可能だったが、なんとか場を盛り上げたいものだ。
 その思いが通じたのか、この半荘は絶好調で、良い手牌が次々と入る。一方、ツキがなかったのはstaysilver氏。それなりに手は入っていたようだが、毎局のように私の和了牌を掴まされた。結局、この半荘トップの私がラスだったstaysilver氏を交わして2位浮上。three colors氏は傍観しているだけで優勝決定となった。
 銀行位はおなかぽんぽこ氏。前半の3半荘連続最下位が大きかった。やはり、麻雀大会はスタートが重要なようだ。
 その後は飲み会。気心の知れたメンバーで、楽しい時間を過ごした。解散は午後8時過ぎ。優勝できなかったのは残念だが、準優勝は過去最高の成績だし、何よりウエスタンの仲間と楽しく麻雀を打てたのが良かった。次は年末になるだろうが、今度はthree colors氏から名人位を奪取したいものである。
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2008年08月03日

社団戦初日回顧

 社団戦の初日から、1週間が過ぎた。はっきり言って、むちゃくちゃ長い1週間だった。疲れが溜まり、手近な大目標もなくなった状態で仕事中心の生活をこなすのは、かなりつらいものがあった。
 今になって思うのは、いかに自分が気負っていたかということである。主将をしていた昨年よりも、今年の方が入れ込んでいた。自分のプライドを満足させるには、自分自身が勝つしかなかったからだ。
 だが、結果は芳しくないものだった。チームも然り、自分自身もまた然り。それが、疲労を一段と増幅させた。
 そんな社団戦初日を、遅ればせながら簡単に振り返ってみたい。

 初戦の相手は紅萌。京大OBのチームだ。私は大将で起用された。相手側の大将は元アマ名人のK氏。チームメイトは私の勝利を期待しないだろうが、だからこそ一発入れたい。私は闘志満々だった。
 将棋は矢倉模様から私が穴熊、K氏が雁木に組み、互いに神経を使う展開に。30分の持ち時間は双方とも早々と使い果たし、30秒将棋が延々と続いた。
 私が馬脚を現し、はっきり負けの局面になった頃、隣のばとらー氏が投了。ギャラリーが減り、私はチームの負けを悟った。ほどなく私も投了し、スコアは2-5となった。
 敗れはしたが、私個人としては力を出しきれた。団体戦での連勝は残念ながら8で止まってしまったが、それほどショックでもなかった。

 2局目の相手は神風会で、私は抜け番。応援や偵察活動をして過ごした。チームの戦況は芳しくなく、それでもなんとか凌いでくれるのではないかと期待していたが、結果は2-5。
 正直、チーム連敗で3局目に登板することになるとは思わなかった。さきほど他の選手の将棋をひととおり見たが、本来の力を出し切れていない人が多い。ここはひとつ、自分が勝ってチームの連敗を止めてやろうではないか。そんなことを思いながら、次の野島道場戦に臨んだ。

 私は六将での出場で相手はI氏。一手損角換わりをされたので、ことらは端の位を取って右玉に。戦法の性質上、仕掛けどころが難しく、焦ってはいけないという思いもあって、30分30秒の将棋としては異常なくらいのスローペースになり、両者ともほぼ持ち時間を使い果たしてから、戦端が開かれた。
 ここが運命の分かれ目だった。相手が動いた瞬間、角を打ち込めるタイミングがあったのだ。局後に指摘されて気付いたのだが、対局中は他の手を読んでいて、全く思いつきもしなかった。この逸機によって相手に主導権を握られ、苦戦を強いられることになる。
 私の指し手は乱れに乱れ、いつの間にかクソ粘りモードに。投了してもいいかなと思ったが、チームがこういう状態だし、気力のみで指し続けた。時間が押してきたため双方20秒将棋になる。頓死や時間切れの楽しみが生じるので、これは歓迎だ。そして、ついに刀折れ矢尽きたかというところで、相手の時間が切れた。
 勝ちはしたが内容は最悪に近い。体力も相当消耗した。中盤の入口で角を打ち込んでおけば、こんなことにはならなかったのに。チームは6-1。2敗している以上、昇級争いは勝数勝負も考慮に入れなければならず、この私の1勝も貴重ではあるのだが…。

 続いて東北大学OB会との対戦。私は七将での出場で相手はH氏。聞いたことがある名前なので、おそらく主力選手だろう。横歩取りに誘導したが相手は乗らず、相掛かり相中住まいという、あまり見かけない戦形になった。
 お互いに手を出しにくい展開になる。こちらは後手だし千日手でもOKだ。それはわかっていた。しかし、どうせ千日手模様になるなら好形を築いておこうと思ってしまった。神経戦の後手番としてはあまりにも不用意な一手。相手は長考の末、これを的確に咎めた。
 駒割りこそ飛角交換だが、こちらは陣形が上ずっており、飛車の打ち込みが受からない。駒をぽろぽろ取られるのを、指を咥えて見ているしかなかった。あとは持ち時間がなくなるまで長引かせただけ。惨敗だった。
 この時点でチームは3-1で、最終結果は5-2。チームとしては立ち直ったが、私の心が晴れることはなかった。

 自分の勝敗だけを見ると、まあ想定の範囲内ではある。しかし、私は大きな問題の存在を痛感していた。体力の低下である。気力はあっても、スタミナがないため燃料切れを起こしてしまう。
 これは解決する問題なのか。実戦をこなしていけば体力は持つようになるのか。私にはそうは思えなかった。私にとって、個人戦と団体戦は全く異質のものだからだ。体力の消耗も全く違う。
 自分がチームに貢献していくためには、自分のプライドを満たす活躍をするためには、どうすればいいのか。突きつけられたこの問題、答えはまだ出ていない。
 しかし、8月末にはまた社団戦がある。答えが出るのを待ってはいられない。心のもやもやが晴れることはないだろうが、次こそは自分の納得できる結果を出せるように、自分なりに準備していきたいと思う。
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2008年07月27日

未体験の戦いへ

 いよいよ、戦いの時が近づいてきた。私にとって、団体戦とは常に「戦う」もの。それが、個人戦とは決定的に違うところだ。チームの勝利のために全身全霊で戦う、それが団体戦である。
 初めて団体戦に出てから、今年でちょうど10年。人数も形式も異なる、いろいろな戦いを経験してきた。笑ったこともあり、泣いたこともあった。勝利を求め、自分にプレッシャーをかけ、極度の緊張の中で戦ったからこそ、感情の爆発的な高まりがあった。

「勝たねばならぬ」
 何度、そう思ったことだろう。この10年間、ほとんどの戦いにおいて、私はチームの主力選手だった。自分より明らかに強い仲間2人と3人制の団体戦に出たこともあったが、1人が負ければ自分が勝たねばならぬわけで、勝たなくても良い選手ではけっしてなかった。昨年の社団戦は強い仲間がたくさんいたが、メンバーを緩める試合が多かったため、自分はけっこう重要なポジションで出ることが多かった。
 ところが、今回の社団戦は、ここが決定的に違う。自分より明らかに強い仲間多数と一緒に、7人制の団体戦を戦うのである。ゆえに、客観的に見て、自分の対局の重要性はこれまでよりも低い。

 チームのメンバーが固まってから、ずっと戸惑いがあった。自分はどういうスタンスで戦えば良いのか。自分なりに楽しんでも良いのではないか。負けたところで、よほどのことがない限り戦犯にはならないのだから。
 そう、もし自分が主将という立場で今年のメンバーを率いるなら、自分の勝利をアテにはしない。もっと強い選手4人が勝つことを期待し、それをめざして各選手の起用法やオーダーを考えるだろう。
 だが、それに納得していない人間がいる。自他ともに認める団体戦狂である、この私である。
 あいつらは強い。一発勝負ならともかく、何局も指せば絶対に負け越す。だが、自分だってそこそこ強いはずだ。けっして役立たずではないはずだ。実力では劣っても、勝負根性なら負けない。
 そうは思っていても、実際に勝たなければ、周囲も自分も納得しない。だから、とにかく理屈抜きに勝つしかない。せたという選手がいて良かったと、皆に思わせる活躍をするしかない。

 私は戦う。全身全霊で戦う。チームのために、そして団体戦狂を10年も続けてきた自分自身のために。
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2008年07月22日

山陰小旅行顛末(前編)

 米子の駅前に放り出されたのは、7月20日の朝の6時半。眠い。夜行バスでの睡眠時間は実質3時間ばかり。夜型生活が染み付いている私にとって、早寝早起き型のバス(東京の浜松町を出たのは21時前だ)はきつい。結局、午前3時頃まで物思いに耽ってしまった。
 この日行動をともにするstaysilver氏が車で迎えに来るのは7時半頃。それまで時間を潰さねばならぬのだが、あいにく喫茶店やファーストフード店の類はない。駅の待合室で、コーヒーを飲みつつ時間を潰した。
 予定より少し早く、迎えに来たstaysilver氏と合流し、ファミレスで朝食をとる。時間に余裕があったので、食後もだらだらと雑談していた。
 9時頃にファミレスを出て、新日本海新聞西部支社へ。ここで行われる将棋の賞金大会(米子将棋まつり)に出場するのである。
 米子に行く目的は、もともとは旅行のついでにstaysilver氏を訪ねるためであった。しかし、ちょうど当日に大会があることを彼から聞き、では2人で出るかという話になったのである。社団戦の前だし、最近はちょっと将棋を頑張ろうという気になっているので、ちょうど好都合だった。

 受付、抽選を終えて、会場で待機する。賞金が高い(優勝10万円、準優勝2万円、敗者戦優勝2万円)地元山陰勢だけでなく、関西などからの遠征組も少なくない。関西の強豪とは当たりたくないなぁと思っていたが、そのうちの1人であるY田氏を、初戦から見事に引いてしまった。
 ツキのなさを嘆きつつ対局開始。三間飛車対居飛車穴熊で、Y田氏が石田流に構えて先攻するというのは予想通りだったが、こちらの駒組みに問題があり苦しくなる。一応頑張ってはみたものの、慎重に指されて打つ手なし。完敗だった。
 しかし、まだ2万円ゲットの可能性はある。そして、わざわざ米子まで来て連敗終了というのは切な過ぎる。とにかく気を取り直して敗者戦を頑張るしかない。
 その敗者戦、1回戦の相手は地元のベテランI田氏だった。今度は四間飛車対居飛車穴熊になり、相手の無理仕掛けを咎めて優勢に。しかし、その後の指し方に問題があったのか、端攻めをまともに食らって逆転。相手が詰みを逃したためなんとか勝ったが、寒い将棋であった。
 次の相手は地元の高校生M池氏。後で聞いたら、高校選手権の団体戦県代表とのこと。雁木模様にされたので、こちらは右玉に変化。相手が若いので経験値で勝負しようという狙いである。作戦は的中し、早々と優勢になる。
 ところが、ここから勝利までの道のりが長かった。右玉は勝つのに時間がかかる戦法で、相手は時間攻めも視野に入れて(この大会は30分切れ負け)粘りまくる。時間の切迫とともにリードを吐き出し、図の局面を迎える。
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 ここではまだ残っていると思っていたが、持ち時間は残り1分ほど。読み切る時間がなく本能的に△7五歩と打ったが、実戦的にはこれが敗着だった。▲6六玉とかわされ、以下5五〜4四〜3四と逃がしてしまい、最後は6秒差で時間切れ負け。図で△6七角なら3四への逃げ道がなく即詰みであることに気付いたのは、短い感想戦を終えた数分後のことであった。
 切れ負けの叩き合いは若いほど有利であり、実戦を多くこなしている方が有利である。私にとって不利な条件ではあった。だが、負けは負けである。棋力はそれほど衰えてなくても、年齢からくる瞬発力、反射神経の衰えは否めないようだ。悔しさと同時に淋しさを覚えた1局であった。
 staysilver氏は危ない将棋の連続ながら勝ち続け、決勝で敗れたものの、堂々の準優勝で賞金を手にした。彼は「せたさんが来ないんなら出てなかった」と言っていたから、私も少しは役に立ったのではないだろうか。

 17時頃に会場を出て、staysilver氏の行きつけの店で3時間ほど遊戯に興じる。両者とも将棋とは逆の結果となった。その後ファミレスで夕食をとり、最後にホテルまで送ってもらう。彼がいなければ移動もままならなかったわけであり、感謝の一言である。
 ホテルの部屋に入り、まずシャワーを浴びる。私は相当に疲れていたようで、まだ23時前だったにも関わらず、あっという間に眠ってしまった。
posted by せた at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 将棋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

1年ぶりのアマ大会

 アマ名人戦の都区内予選に出場した。個人としてアマ大会に出るのはほぼ1年ぶりだ。
 この1年の間も細々と将棋は指していたのだが、大会は団体戦しか出ていなかった。仕事で忙しい時期が多かったというのもあるが、むしろモチベーションの問題の方が大きい。
 関西ならともかく、東京の大会に出ても知り合いはほとんどいない。過去にもオール学生などで知り合いのいない状態を経験していたが、大会で話し相手がいないというのは淋しいものである。また、地元の奈良よりはるかにレベルが高いのも明らかだから、わざわざ積極的に大会に出ようという気にならなかったのだ。
 そんな私が大会に出た理由、それは単に「社団戦もあるし、将棋でも頑張ってみるか」と思ったからである。今年は社団戦の主将を退き、気楽な立場なのだが、そうなると自分の対局結果がこれまで以上に気になってくる。今年は2部での出場なので、対戦相手も昨年よりきつくなるだろう。ならば、やはり事前の調整は欠かせない。

 受付開始の10分ほど前に会場に到着。やはり知人もいないなと思っていたら、「せたさん」と声をかけられる。近大OBのN君だった。なんとなく安心感が出る。だからと言って対局に効果があるわけではないが。
 予選は1勝通過2敗失格で、持ち時間は45分切れ負けだった。どちらも初体験のような気がする。とりあえず予選落ちはだるいので、なんとしても1つ勝たなければ。
 1局目、相手は学生風のN越氏。序盤で駆け引きがあったが、結局四間飛車対居飛車穴熊に落ち着く。相手は右玉風に陣形をまとめ、攻守のはっきりした展開に。形勢はやや不利だっただろうが、切れ負けで穴熊なので、頑張ればチャンスが来ると思い、細い攻めを続ける。しかし、相手は全く崩れず、手厚く余されてしまった。
 本部へ行くと、次の手合いを付けられる。終わったものから順に当てていくという方法は、どうも好きになれない。運営側の意図が入り込む余地があるからである。例えば、都内では名の知れた強豪が2人、ほぼ同じ時刻に1局目を落とした場合、この2人を次に対戦させるだろうか。おそらく、少し待って私のような無名選手を当てるだろう。
 この方法では、1度痛い目を見ている。8年半前のオール学生で、1局目を圧勝したまでは良かったものの、2局目に昨年のアマ名人S水上氏、3局目に東大レギュラーのI川氏を当てられ、あえなく予選で飛んでしまったのである。わざわざ関西から遠征したにもかかわらず、萎える結果になってしまった。
 今回も嫌な予感がした。当たったのはベテランのM原氏。確か都代表経験のある強豪のはずだ。この対局は横歩取りになり、こちらが切れ模様の攻めを懸命に続けるという展開になったが、今度もきっちりと余されてしまった。

 こうして、久しぶりのアマ大会は最悪の結果で幕を閉じた。2局ともこちらは持ち時間をほとんど使い果たし、相手側の残り時間も5分を切っていたから、それなりに頑張ったとはいえるが、やはり1局も勝てないというのは萎える。
 帰ってから棋譜を入力していったが、2局とも自分が対局中思っていた以上に苦しい展開だったように思った。私が特に弱いところは中盤の入口、仕掛けのあたりであり、相手が強いとここでの失点を挽回できない。相手側の時間の使い方を見ると、それなりに苦しめたというのは確かだろうが、苦しめるだけでは意味がない。
 ついでに、N越氏の経歴についても調べてみる。元奨励会で、少なくとも2級までは上がったようだ。やはり当たりは相当きつかったようだ。
 運が悪かったのも事実、そして自分が弱かったのも事実。しかし、大会で真剣勝負をしたというのは、まあ収穫と言って良いだろう。次こそは、なんとか白星をもぎ取りたいものである。
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2008年07月09日

どうしたものか

「くっ」
 昼下がり、神田駅の指定券販売機の前で、私は思わずつぶやいた。目の前にあるモニターには、×が縦に3個並んでいる。
 この現実を目の当たりにしたことで、私は計画の変更を余儀なくされることになった。

 8月9日から数日、関西に帰る予定にしている。その手段であるが、資金に余裕がないため、夜行快速「ムーンライトながら」を利用するつもりであった。青春18きっぷで乗れるので、夜行バスなどを利用するよりも圧倒的に安い。
 そこで、8月8日の夜遅くに東京を発つ「ムーンライトながら」の座席指定を取らなければならず、その発売日は1ヶ月前の7月8日である。ゆえに、私は昼休みに神田駅に行ったのだ。
 ところが、冒頭で述べたように、既に席は全て埋まっていた。帰省のピークということで臨時便も運行されるのだが、そちらも満席になっていた。発売日の昼過ぎならなんとかなるだろうという私の判断が甘かった。

 では、私はどうすれば良かったのだろう。昼休みがダメとなると、出勤の際にJRの駅に寄っておかなければならなかったということだが、あいにく通勤経路には適当な駅がない。
 しかし、そこで時間のロスを気にしてはいけなかったのだ。出勤の途中に馬喰横山で降り、5分ほど歩いてJR馬喰町駅の窓口に行くしかなかった。往復の所要時間、手続きの時間、さらに先客がいることも考えると、少なくとも15〜20分は余裕を見ておく必要があるが、それはやむを得ないことだった。

 まあ済んだことは仕方ないとして、関西に帰るのに別の手段を考えなければならない。料金を考えると次善手は夜行バスだが、お盆前の金〜土曜なので、渋滞が怖い。1年前は夜行バスを利用したが、3時間も遅れた。後輩の某君が乗ったバスはもっと遅れたはずだ。9日の朝10時から予定を入れようと思っているので、これはさすがに危険だ。
 そうなると新幹線しか手段は残らないが、言うまでもなく金がかかる。また、使うとすれば9日の朝一番の便だろうが、そうなると早起きするのもきつい。まとまった休みをとる以上、仕事は先に片付けておかなければならないので、8日は徹夜明けになっている恐れもある。そんな状態でちゃんと起きる自信はない。

 今のところ、まだ結論は出ていない。夜行バスに空席があることは確認したものの(8月9日の新幹線の指定は7月9日から発売)、これもいつまで空いているかわからないので、早めに決断しなければならないのだが…。
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2008年06月09日

あの頃

 一軍戦が終わった。今季は入替戦で負けた。ものすごい大混戦だったが、2度の3-4が響いた。どちらかでも4-3になっていたら、1位昇級だったのだ。
 OBである私が敢えてこういう書き方をしたのは、今回の大混戦が、まるで自分達の学生時代のように思われたからである。あの頃も毎回混戦で、たいてい勝数勝負になっていた。
 当時を懐かしく思った私は、ある文章を思い出した。平成12年度の秋季一軍戦(悲願の昇級を果たす半年前)、私が率いていた神戸大は勝点4勝数21の成績を残したが、龍谷大(勝点4勝数22)、甲南大(勝点4勝数22)とのデッドヒートの結果、B級3位で入替戦にも進出できなかった。その直後に書いた文章の終盤は、以下のものである。

「お疲れさまでした。」
 佐野理事長が、オーダー表を提出した私に言った。お疲れさまか、そうだよな。おめでとうじゃない。俺達は負けたんだ。何人かの選手にも声をかけられた(私から愚痴をこぼしたこともあったが)。その度に同じことを思った。俺達は負けたんだ、昇級できなかったんだ。勝数1差の3位だから、誰かがもう1つ勝っていれば入替戦だった。それが龍谷大戦だったとしたら、勝点5の1位で昇級だった。「もし〜だったら」などと言っても仕方がないが、そのことは何度となく私の頭をよぎった。結果は結果として認めるしかない。しかし、認めるにしてはあまりにも差が小さかった。あと1歩、ほんのわずかだったから、余計に悔しかった。
 暇になった。1位だったら第2代表戦、2位だったら入替戦を指すことができたのに。この時間帯には秋季個人戦の抽選会も行われた。現役部員随一の強運を持つ田中君に幹事代理として抽選会に参加するよう指示していたのだが、対局がなければ部長も幹事も参加できる。控室で暇な時間を過ごすのも嫌なので抽選会に出ることにしたが、自分が抽選会会場にいることが悔しくてたまらなかった。私の入った19ブロックに実績のある選手が誰も来なかったのは嬉しかったが、一軍戦で昇級を逃した悔しさに比べれば些細なことだった。
 第2代表戦と入替戦の結果を見届け、私は会場を後にした。今度は神将のメンバーと一緒だった。南草津から六甲道までの道のりが非常に長く感じられた。会話をするのもつらかったが、黙っているのはもっと苦痛だった。主に河津さん、藤原さんと世間話をして過ごした。一軍戦や個人戦の話はほとんどしなかった。
 皆と分かれ1人帰宅する。自分が将棋部部長として頑張っていることが、とてもつまらないことのように思えた。昇級できなければこれまでの努力も意味がない。全てが徒労に終わってしまうような気がした。5年後、10年後の神将のあるべき姿について、私はそれなりのビジョンを持っている。しかし、それは自分たちの代で関西のA級に定着することが前提となっており、この前提が崩れればビジョンも崩壊する。私に残された一軍戦はあと2回しかなく、あと2回昇級を逃したとき、全ては徒労となる。それが怖かった。私にとっては非常に大きな恐怖だった。
 自分の運命について、真剣に考えた。自分の努力は報われないことになっているのか、そういう定めなのかと思った。神大は2年間ずっと昇級候補だった。だが、いつも勝負どころで誰かが負けた。いわゆる魔が差したような一手を指して敗れることも何度かあった。それは棋力もしくは精神力の不足によるところであろうが、もしかすると人知を超えた存在に操作されているのかもしれない。そうだとすれば、何をやっても無駄ではないか…。
 しかし、たとえ無駄だとしても、この戦いをやめるわけにはいかない。戦うしかないのだから、この程度でへこたれていられない。敗戦を運のせいとして片付けることは容易である。けれども、今のB級一軍戦、どの大学が昇級してもおかしくない状況下で勝ち残るためには、多少の運など力でねじ伏せるくらいの気概を持って取り組まなければならないのではないだろうか。
 神将は、まだまだ強くなれると思う。もっともっと強くなって、次こそは昇級を果たしたい。これまでの戦いを無駄にしないためにも。


 1人のOBのワガママではあるが、この文章を後輩達に贈りたい。
 次なる戦いに向けて、がんばれ神大将棋部。
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2008年05月19日

地下鉄での小さな悲劇

 午後10時過ぎ、休日出勤を終えた私は、いつものように小川町駅の階段を駆け下り、ホームに出た。明日からもずっと休みなしかと思うと、極めて憂鬱である。まあ、とりあえずさっさと帰ろう。
 ホームの案内表示が「調整中」になっている。夕方に人身事故が発生したらしく、ダイヤが乱れているらしい。では、次の電車はいつ頃来るのだろう。そう思っていたところへ、放送が入った。
「4番線に参ります本八幡行きは、只今新宿駅に到着いたしました」
 参った。まだ新宿ということは、小川町まで10分以上かかる。それだけ運転間隔が空いているとなると、混雑も相当なものだろう。ここは回避する一手か。
 そこで、隣の岩本町駅まで歩くことにする。少し回り道をすれば秋葉原を通れるので、そちらを経由したが、日曜の夜10時過ぎだから、特におもしろそうなものもない。まあ軽い運動をしたと思うことにしよう。
 岩本町での待ち時間は5分ほどで、無事に本八幡行きに乗車。ところが、次の馬喰横山で車両点検のため数分停車。その次の浜町で座席が空いて座れたものの、その次の森下で車内清掃と点検のためにまたも数分停車。清掃が入るということは、泥酔客が嘔吐でもしたのか。本当に今日はついてないな。さっさと帰って、残り少ない休日をエンジョイしたいのに。
 今度こそ、あとは帰るだけだろう。そう思ったが、私は甘かった。遅れが拡大することはなかったものの、予期せぬ敵に襲われたのである。
 浜町で座った私の右隣には、大学生風の男が座っていた。その男は熟睡していた。そして、私の右肩にもたれかかってきて、いっこうに離れないのである。
 女の子ならともかく、野郎にもたれかかられるというのは不快なものだ。心身ともに疲れている状況では尚更である。しかも、私はこのところ肩凝りが悪化していて、昼にマッサージ店に行ったばかりなのだ。肩に負担をかけられると、マッサージの効果が半減してしまう。
 肩および二の腕の負担はかなりのもので、私の体もいくらか左方向に傾いた。体勢が若干きつい。席を立とうかとも思ったが、せっかく確保した席を、重しを避けるためだけに捨てるのは悔しい。この男が降りるのを期待していたが、結局私が降りる船堀まで、重しが外れることは全くなかった。
 時計を見ると、11時を回ったところだった。普段17分で行けるところが、1時間もかかった。ただでさえ憂鬱なところを不運に襲われ、もっと憂鬱になってしまったのであった。
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2008年05月16日

ちょっとした喪失

 切れた。気付いてみたら、あっけなく切れていた。これを買ったときに抱いた将来への希望と根拠のない期待感を思い出し、少しせつなくなった。

 昼下がり、私は新入社員の某君と食事をとっていた。仕事のことを中心に、さまざまな話で盛り上がった。家庭や学校での環境もあって、自分よりも少し若い人が最も付き合いやすい。
 そろそろ店を出ようと席を立つ。テーブルの上に置いていた携帯電話を手に取り歩き出す。そこで私は違和感を覚えた。握った携帯電話の形状がいつもと違う。
 テーブルを見る。やはり落ちていた。正月に春日大社で買った縁結びのお守りが、ストラップから外れてしまっていた。

 縁結びのお守りは、一昨年あたりから母や祖母がくれるようになり、自分でも買うようになった。携帯のストラップのほか、部屋の鍵にも付いている。ご利益があるかはわからぬが、持っていたほうが気が楽なのである。
 それは、言い換えるとお守りを持っていないと心細いということでもある。お守りを持たず良縁にも恵まれないという結果になると、「お守りを持っておけばよかった」と後悔する可能性があるが、お守りを持っておけば、少なくともその種の後悔をすることはない。気休めに過ぎないのかもしれないが、たとえそうであっても意味のないものではない。
 ゆえに、常時携帯していたお守りが外れてしまったというのは、私にとってはちょっとショックなことなのである。今年こそはと思い1月3日に春日大社で買ってからまだ4ヶ月あまり。過去に使っていたストラップと比較してもあまりに短い寿命であった。

 そうは言っても済んだことは仕方ないので、またお守りを入手するしかない。とりあえず日曜までに、近場にあって縁結びにご利益のある神社をネットで探すことにしよう。
posted by せた at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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